たぶん絵的なBLOG

画材店の店主がつづる絵画や画材のあれこれ

2005-01-01から1年間の記事一覧

色彩

人間の視覚は七色にまたがると言われるが、 その中間の微妙な混合を含めれば、 無限の数の色合いというものが存在している。 人間の目は、それらを見分けることが出来る。 絵画を描きはじめた頃の色彩の使い方をみると、 実に単純な、絵の具のままの色しか使…

10年ぶり

東京に住んでいたころ、模型グライダーに夢中で、 休日になれば、同好の士と大宮田んぼやグリーンパークによく出かけた。 クラブに所属していたので月例の記録会にも参加した。 全国の選手会に出て入賞したこともあった。 でも長野へ転居することがきっかけ…

仕掛けたワナ

自分で自分のつくったワナにはまって苦しむということは、 実際世の中にたくさんあるものじゃないかと思う。 このごろ思うのは、そんなことばかり。 むろん「自分で」つくったワナとは気づかないので、 とても厄介である。 色眼鏡という古い言葉もあるが、 …

フランクルの言葉を思い出した

昨日、月足さおりさんというピアニストを追ったNHK番組を見た。 脊髄空洞症という難病で、全身の痺れと痛みに耐え、 なおかつある時期に、一週間ほどのあっという短い時間に、 視力をほとんど失なった。28歳という若さだ。 それでもピアノの演奏会に出演する…

詩の芽生えるとき

詩とはけっきょく何なのか、 わからぬままかれこれ30年は読み続けている。 詩とはあるものの結果でしかないという気もする。 そのあるものとは、生命の成長点のようなもので、 あらゆるものを生み出す根源というべきなのだろうか。 だから、それを定義するこ…

9月は残酷か

秋は変化が始まる季節だからだろうか。 自分の悪癖が活動をして、 よくない未来、わるい将来、失敗する自分なんかが、 それこそ羽虫のように脳裏に湧き出してきて、 すっかり憂鬱になってしまう。 輝かしい夏がかげりを見せはじめ、 それこそ、ひと時代が終…

迷い

下手な考え、休むに似たり。 囲碁の世界でこんな言葉をよく使う。 下手が、いくらうんうん唸っていい手をひねり出そうと智慧を絞っても、 所詮は大したことにはならないことを揶揄したものだ。 最近になって、この言葉の微妙な味わいがすこしわかるようにな…

さきほど、明日からの仕事のため東京に戻った。 あっという間に連休も終ってしまった。 この3日間なにをしただろうか。 23日の午前中、萱野高原に家内と出かけた。山頂の散策路がとてもいい感じに 静まり返っていたので、鉛筆で散策路の雰囲気をスケッチ。 …

何とか連休に突入

このところ立て込んでいた仕事を必死でこなして、何とか連休に突入した。 うかうかしていると、休日も仕事をするような最悪の状態になる。 これは回避したい。 モーレツ仕事人間という言葉も古くなった。 自分は団塊世代のピークとは少しずれているけれど、 …

秋休みも今日で最終日。 明日からまた泥臭いてんてこ舞いが始まる。 いや、この休み中も、朝晩、会社のメールチェックしては、 宿題のやり残しやら、回答請求に、 肝を冷やすこと、再三だった。 9月はなぜか「うつ」的な心理状況に追い込まれる。 サザエさん…

ある脱会

ちょうど一週間前に、あるソーシャルネットワーキングサイト(SNS)を脱会した。 招待制度を基本として、仲良し同士をつなげていくサイトだ。 脱会の瞬間においても、脱会理由を、よく言葉にできていないと感じた。 そうなのだ、なかなか言語にならない。 か…

ようやく夏休み

今年の夏は、トラブルに巻き込まれたり自動車事故に遭遇したりと、 いいこと悪いことの振幅が大きく、変化の季節だった。 もし自分がギャンブラーだったら、運勢が微妙に変化していく兆候を読み取り、 なにか新しいことを始めたり今までとは異なるアプローチ…

線を描く

先日スケッチをしていて、発見したことがあった。 脳細胞がしびれるほど心地よい状態で、 スケッチしていることが時たまある。 ほぼトランス状態にあるといってよいと思う。 ここにはある共通した特徴がある。 おそれがない。 自分を意識しない。 そして、手…

姿勢

人生は皮肉な面がある。 周囲の人々からよく思われたいとか、 まったく周りのひとへの影響や、 ましてや自分の思い通りに人を支配するなどと 考えていない人が、世の中でひっそりと生きている。 しかし、何かの偶然で、人に知られるところとなり、 長いあい…

たまには言ってみるかな

会社の昼休みに、お弁当やさんが来る。 自分は、デスク食事派なので、毎日利用させてもらっている。 昔は、お弁当には、割り箸が付いていた。 今は、プラスチックの箸に変わった。 食べ終わり、空になった弁当箱と、プラ箸は、 返却箱が置いてあり、セルフサ…

なつかしい『足摺岬』を読む

雨にまつわる文章を書いていたとき、 なぜか無性に、田宮虎彦の『足摺岬』を 読み返したい衝動にかられた。 なつかしいという気持ちが半分。 あとの残りは、若い頃好きだった小説を 30年経った今読むと、どう感じるんだろうか。 自分の感じ方は変化している…

ドイツ女性の参禅記

先日、リース・グレーニング著『隻手の音なき声』を読み終えた。 ドイツ人女性が、はるばる日本までやってきて、相国寺にて雲水らにまじって、 本格的に禅を修行する物語だ。 昔から禅には惹かれつつも、なかなか自分自身が参禅する勇気や時間がないために、…

『土の中の子供』を読む

文芸春秋9月特別号で、芥川賞を受けた 中村文則さんの『土の中の子供』を読んだ。 子供時代に受けた虐待とその後、 というような主題だと聞いたので、興味を持った。 継続する虐待を受けることで、肉体的、精神的な傷が深まり、 自己を変容させていくことに…

こころと、もの

御巣鷹山事故の20年目のドキュメンタリー番組で、 ボクはテーマをいただいた気がする。 このところ気になってしかたない。 だからちょっと記しておきたい。 犠牲者の一人で、ディズニーランドへ遊びに行き、 帰りの便で事故にあった娘さんの話。 娘さんは…

個性を目指すべきじゃない

絵を再開して10年くらい経過したのだなと思った。 若い頃は、デッサンの技術をいくら鍛錬しても、テーマがない状態で、 何を描いたらいいのかわからず、スカスカしていた。 つまり絵に芯がないんだな。 が、いまは逆になった。 風景からうけるインスピレー…

20年目のドキュメンタリー

昨日、御巣鷹山墜落事故のTV番組を後半みた。 墜落から20年も経過していることに、あらためて思いをめぐらせた。 事故原因を追いかけるドキュメンタリーと、 ボイスレコーダーの公表をめぐり展開されるドラマが 併行して語られている好番組だった。 自分は、…

いつか、ある日に

「進歩」の考え方が、いかにボクたちの生き方のバックボーンとして 浸透しているのか、それは驚くほどだと思う。 ある意味で、ここに切り込んでいくと、今の社会生活を成り立たせている いくつかの「安全で、健全な」考え方を捨ててしまうことにもなる。 自…

こころの変化

多忙な日々を送るうち、自分の中で何かが変化したと感じるようになった。 それはうまく言葉の表現に置き換わっていないけれど、 こころのどこかから送られてくるメッセージが変化したのだ。 こころの深いところのメッセージが聞こえるようになったこと自体が…

どちらが正しいのか

人と意見が合わないときや、衝突するときに、 どちらが正しいのかと、思考が絞られることがよくある。 これは自分の考え方のよくない傾向で、 おそらく他の人たちにも共通した傾向だろうと思う。 単純化して言ってしまえば、 自分が正しいときは、相手は間違…

焦点を絞る

絵でも、焦点を絞ることは大切だなと思う。 あれもこれも、目に入ったものを全部描いては、 結局、雑多なものを提供しているだけになる。 もっと単純化し、もっとつよく、明確にすべきなんだと思う。 このことは、裏返せば、枝葉の部分を捨てることだ。 枝葉…

字の美

篆刻に入れ込んだ時期があった。 模刻や創作なんか懲りずによくやった。 その後、忙しくなりやらない状態が続いている。 字に美しさを見出すことは、 考えるととても不思議だ。 字は、もともと言葉を記録するための道具だ。 それが、上手下手と審美的な側面…

陰の支配者

若い頃、森田療法に関する本を手あたりしだい買い集め、読んだ。 珠玉の言葉のいくつかは、意識の中からゆっくりと沈んでいき、 ひとつひとつをはっきりと意識することが出来ない。 記憶の深いところへ収納されてしまったように感ずる。 しかし何かの折に、…

脳の中の上達

理解するということは、新たな事実や情報が、 それまで自分の脳内に築いてきた体系に、 整合し合致することの確認である。 そのとき、本当にわかったという気持ちになる。 運動でも習い事でも、その技術に上達するとは、 脳の中に、自分を包含する運動モデル…

エゴン・シーレの素描

決して安くないお金を払って、エゴン・シーレの素描の複写を買ってしまった。 妻エディットが横たわっている姿を描いたモノのようだ。 年代が1918年だから亡くなる年のものである。 ひと目店で見たときから、刺さってくるような刺激を受けた。 これまで印刷…

放たれた矢

何年越しになるのだろう。 かなり昔に購入したハインツ・ケルナー『ヨハネスの問い』を ようやく読み終えた。長いこと、気になっていた本だ。 購入当時、少し読みかけて放り出した。 なんだかピンと来なかったからだ。 そうなんだ。本は読むべきときというの…