たぶん絵的なBLOG

画材店の店主がつづる絵画や画材のあれこれ

放たれた矢

何年越しになるのだろう。
かなり昔に購入したハインツ・ケルナー『ヨハネスの問い』を
ようやく読み終えた。長いこと、気になっていた本だ。


購入当時、少し読みかけて放り出した。
なんだかピンと来なかったからだ。
そうなんだ。本は読むべきときというのがある。
そのタイミングを誤ると、どんなよい本でも
読むことが出来ない。


この本はドイツの不思議なベストセラーだそうだが、
果たして日本では受け入れられているのだろうか。
それが気になり、少し調べた。


やはりというか、想像されたような受け取り方をされているようだ。
この本の外側をグルッとまわり、哲学的なメルヘンだとか
生き方について問い直すだとか。はたまた、邦訳の装丁が素敵だとか。


ヨハネスが繰り返し本の中で語っているそのこと自体が、
この本のあつかいについておきていると感じる。
本当のことを感じなければならない。
本質的なことにエネルギーを使わなくてはならない。


この本について、きちんとしたことを書こうとすることはかなり困難だろう。
読みこなし噛み砕くだけの力量を必要とする。
一部を引用する。

「心がないようならば、きみは、朝から晩まで一年中探し続けても、
何も見出せない。さまようばかりで本物の物事をもはや見分けることが
できないからだ。
きみは非現実的で刹那的なものに執着して、なぜ自分が幸福と満足を
探しても見つからないのか、と自分に問う。
休みなくきみはつねに新たな目標を追い求める。
その後に新しい目標が控えている。
しかし、これらの目標はきみの目をくらませるので、
きみは本当の目標が見えないでいる。
なぜなら、静かで落ちついた日々を送らなければ見えないような目標こそが
本当の目標だからだ。・・・」