たぶん絵的なBLOG

画材店の店主がつづる絵画や画材のあれこれ

二酸化炭素悪玉説のこと

前日記で、地球温暖化に関与するとされているCO2の話を書いた。温暖化の事象において犯人はCO2であるとしたい人達がいて、さかんに情報を流している。いまやCO2犯人説が定説にまでなってしまった。

この仮説は根拠がないのだが、専門家はそれをあまり言いたがらない。時流とは恐ろしもので、それに逆らうことを口にすることを憚っていると思われる。

温室効果ガスというものが知られていて、これは地球にかぶせたビニールハウスのビニールのようなものだ。大気中に含まれることにより、地上に発生した熱量が閉じ込められるとされるガス類である。

大気中の温室効果ガスとして、CO2がやり玉(悪者)に挙がっているわけだが、じつはもっとも熱を籠もらせるガスがある。それは水蒸気だ。

水蒸気はもともと温室効果が高く、かつ大気中の含有量はCO2より桁違いに大きい。したがって地球を温めるガスとして、水蒸気がそれを占めているといってもいい。つまり雲の量が多い少ないで温室効果がほぼ決まっているはず。かただか0.04%の濃度しかないCO2が決めているとはとうてい考えにくい。
(注:前日記のコメントやり取りで、CO2濃度を0.4%と誤記しました。訂正いたします。)

温暖化ガスの議論をするなら、なぜ大気中の水蒸気のことを議論しないのか?その理由は、変幻自在で濃度が変化する水蒸気はまだ議論できる段階にない。雨が降ったり天気になったりで大幅に変化しているから予測つかない。

IPCCの報告書で議論対象となっているのは、4種のガスだけだ。つまりCO2、メタン、フロン類、亜酸化窒素である。水蒸気のことは触れていない。
温室効果ガスとしてとりあげられている4種のガスは、そもそも温室効果自体が小さい(物性的に)、そして大気中の含有量も微量というもので、温暖化の効果としてはとても小さいものと推定される。すくなくとも温暖化の支配要因とはとうてい考えにくい。

気象庁温室効果ガスを解説している文書がある。
http://www.data.jma.go.jp/cpdinfo/climate_change/2005/pdf/2005_2-6-1-A.pdf

このなかで、こんな(笑える)一節がある。
「なお、温室効果のもっとも大きい気体は水蒸気であるが、水蒸気の濃度は主として気温および大気循環に大きく左右されるため、地球温暖化問題で対象とする温室効果ガスには含めない。」

地球温暖化問題の主要因は、水蒸気であるが、その量を扱うのはむつかしいので省く、ということだ。ならばCO2濃度を議論しても効果がないのではないか?
しかも水蒸気の量の議論を難しくするのは気温なのだと書いている。温室効果の話をしていると、気温によって変わるという。堂々巡りしていないのか。

こころある専門家の大部分は、CO2犯人説は胡散臭いと考えているが、それを口にはしない。その結果、CO2犯人説を容認したことになっている。

 

SNS日記(2019年10月1日)より転載。

国連少女の演説があった

国連気候行動サミットの場で、16歳の少女グレタさんが、激しい口調で環境問題とくにCO2排出抑制を訴えたというニュースが報じられた。


自分たちの将来のために地球を守ろうとする熱い情熱には脱帽するけれど、訴えていることがらの多くは事実と異なっている。
事実と違っている以上、いくら激しく言葉を重ねても、それは虚しく感じる。どこかの思想を借りてきて信念があるかのごとくに語るとすれば、それは嘘を強弁することになるし、洗脳された子とまではいわないが可哀想な子供だと思う。

地球温暖化という現象は過去にも起きているし、寒冷化も起こっている。おもに氷河期と間氷期の間の大きな変動は、何万年にもわたり繰り返されている。
いまは氷河期の間の暖かな間氷期にあり、40万年の繰り返す気候変動の中ではもっとも暖かいゾーンにいて、その中で小さく変動しているところだ。

人間が排出するCO2により、昨今の地球温暖化が激しくなっていると唱えるのは誤りでこれは学者の間では決着が付いていると思う。むしろ気温が上昇していることが原因で、海洋に溶け込んでいるCO2が気化して大気中のCO2濃度を上げているとするデータが観測されている。
時間的な推移をグラフで追うと、まず気温が上昇し、少し後にCO2濃度が上がるという関連が確認されている。

むりやりCO2犯人説を裏付けるようなデータを捏造したIPCCのインチキ性も明らかになっている。2010年にクライメートゲート事件としてこれは知られている。
しかし日本の報道はほとんどこのニュースを報じない。NHKなどはいまだに地球温暖化問題を煽っている。

事実に基づかずに、政治的な動機や、あるいは環境活動として事実をねじ曲げているのは誠に残念のいたりだ。

たとえば南極の氷河が溶けて海面が上昇するなど、ちょっと科学を学んだものならば、そのいかがわしさがわかる。南極の大気が10℃上昇しても、氷は溶け出さない。これは小学校の理科の授業でも習う内容だ。(いぜん塾講師のアルバイトをして理科を教えたときに、残念ながらほとんどの子供は理解できなかったのだけれど・・・)

南極の氷が大気と同じほぼ-40℃だとして、もし大気の温度が10℃温暖化しても、氷の温度が-30℃になるだけである。-30℃の氷は、まだ氷のままで水になって溶けるわけではない。-30℃の氷は固体のはずである。氷が溶け始めるのは、仮に南極の大気が0℃をまたいでプラスに転じるときだ。その時は氷は全て解けてしまう。しかしそれでも、体積収縮が起きるため海面上昇は起きない。
ただし海水の熱膨張の影響があるので膨張分の海面上昇は起きる。

事実に基づく議論という点で、たいへん示唆に富む書に、ハンス・ロスリング著『ファクトフルネス』がある。冒頭にこんな質問が掲げられている。一部紹介する。

質問7 自然災害で毎年亡くなる人の数は、過去100年でどう変化したでしょう?
A 2倍以上になった
B あまり変わっていない
C 半部以下になった

地球温暖化の影響で異常気象が頻発し、さぞ自然災害で亡くなる人の数は激増しているように思ってしまう。しかしデータによると正解はC。報道などにより自然災害がものすごく増えたと思わされているということである。

質問11 1996年には、トラとジャイアントパンダクロサイ絶滅危惧種として指定されていました。この3つのうち、当時よりも絶滅の危機に瀕している動物はいくつでしょう?

A 2つ
B ひとつ
C ゼロ

答はCである。

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報道のされ方で、偏った印象を持たされている例として思い浮かぶのは、高齢者の自動車事故件数である。
統計を調べてみるとすぐわかるのだが、高齢者の事故件数は、20代の事故件数に比べはるかに少なく、1/3から1/4である。
それにそもそも事故件数は年々減っていて、死亡者数の統計をみると、1970年ころにくらべ現在は1/3と激減している。報道のされ方によって交通事故が増えている印象を持つのだが、それは事実とはちがう。走っている車両の数はむしろ増えているはずだから事故率はもっと減っていると思われる。
事実とちがうことを根拠にして、高齢者の免許返納を促進させるような施策が行われているが、的外れでじつに残念なことだ。

 

SNS日記より転載 20190930)

 

ログイン画面が鬱陶しいのだけれど

8月中旬ころからPCをたちあげると、Microsoft Teamsのログイン画面が出現するようになった。使う予定はないので、画面を削除するけれど、別の画面がしっかりと立ち上がってログインを迫ってくる。どうにもPCのスタートアップが遅くなるし、使わないアプリケーションのログイン画面を、いいちいち複数回消す作業がとっても鬱陶しい。なぜこのようなことをしなければならない?

調べると、Micorosoft Office365をインストールする際に、Micorosoft Teamsも一緒にインストールされると解説がある。たしかにOfficeはインストールはしているが、8月頃ではない。職場のパソコンも自宅のもほぼ同時期に、ログイン画面が立ち上がるようになった。だからなにかこの時期に仕掛けられているのだと推定した。

MicoroSoftのソフトや方針には、このような親切心あまって鬱陶しいものが多い。親切心というより売り込みか。今回のMicorosoft Teamsは、はっきりいって迷惑なものだ。

ソフトをアンインストールしてみた。しかし驚いたことに再起動すると、かわらずログイン画面が立ち上がってくる。消したはずなのに、なぜゾンビみたいにふたたび立ち上がってくるのか、アプリケーション一覧を見てみる。しっかりTeamsがいるではないか。しかもタイムスタンプを見ると、PCの立ち上げ時にインストールされている。これはPCの起動時に、つねにインストールする仕組みに構成されているようだ。

アプリの中をよく見てみると、TeamsMachineInstallerというインストラーがいる。ということは、PC立ち上げ時に、Micorosoft Teamsが入ってなければこれをインストールしますよ、と言っているようなものだ。

スタートアップのソフトの中に、Micorosoft Teamsとそのインストールソフトが潜り込んでいる。なのでMicorosoft Teamsをいくら削除しても、インストールされてしまう。なんだか悪巧みとしか言いようがない。ウィルス並みに悪質なやり方と思う。

勝手にMicorosoft Teamsは無料版が入ってしまう仕組みになっているわけだが、有料版も準備されている。よくある無料で釣っておいて、有料サイトに誘い込むような手口だ。

なお、この2つのソフトを起動しないように、スタートアップアプリケーションのチェックを外して、ログイン画面は立ち上がらないようになった(今のところ)。

SNSサイトの日記を一部修正)

アクリル絵の具の面白さ

アクリル絵の具は、不思議な絵の具だ。

描く際には水を使い薄めることができる。薄める水分が多ければ、ほぼ水彩のようなサラサラの状態となって、水彩と同様の描き方が出来る。

しかしひとたび固まると、水にも、普通の溶剤にもとけない強固な膜となってしまう。しかも接着剤のように付着する、なので木の表面や紙、コンクリートや石などにも描くことが出来る。変わったところでは、革製品の色落ちしたものや擦れて色が剥げてしまったところの補修にも用いることが出来る。(ときどき革製品の補修を依頼されることがある)

絵の具は、基本的に色を出す顔料の部分を、展色剤(メディウムとも言われる)に混ぜ込んだもので、顔料部分はみな同じだ。したがって色の名前は共通になっている。

油彩絵具の場合は、主にリンシードオイルに顔料を混ぜ込んだものであるし、水彩絵の具は、アラビアゴム+水+グリセリンに顔料を混ぜ込んでいる。

ではアクリル絵の具の場合はというと、アクリルの樹脂の粒子中に顔料が閉じ込められていて、この粒子が水に浮いているような構造になっている。水の中に粒子状態の顔料とアクリル素材が浮いている感じ。この構造は牛乳の構造と同じで、エマルジョンと呼ばれる。

乾燥させない限りは、絵の具は水の中に分散して浮いているので、多くの水で薄めることも可能だが、この水分が失われると、アクリル樹脂の粒子同士が付着して重合してしまう。こうなるといわゆるアクリル樹脂とまったく同じ物体になると考えていい。したがって水には溶解しないし普通の溶剤では溶かすことができない丈夫な膜になる。

この強固な膜の形成があるので、アクリル絵の具の登場により、野外で看板を描いたりパフォーマンスとして壁などに絵を描くスタイルが可能となった。絵の具を野外に持ち出したといわれるゆえんだ。

ただ欠点がないではない。水分が乾燥すると重合反応が起きてしまうので、うっかり水が飛んでしまうと、絵の具も硬く固まるし、筆なども固まって棒のようになってしまう。パレットなども一度使ったら使い捨てにするスタイルが一般的になった。まあ乾燥が速すぎるという意見が多い。

描いているあいだ休憩するときは、水をためた筆洗いのような容器に筆をいつも漬けていて、乾燥させないように注意しなければならない。

また描いているときに、水分が乾燥すると絵の具が「やせる」感じがする。薄べったい感じがしてしまう。これは水分の蒸発で絵の具が固まるので、やむを得ないところだ。この「やせ」をへらすためのメディウムも出されているが、どの条件で混ぜればいいかは、個別に研究する必要があると感じている。

 

混色の不思議、その謎がとけた

ずっと謎に思っていたことがらが、実は単純だったということは多い。

絵の具の混焼について謎に感じていたことがあった。

しかし、これは謎ではなく、普通のことだった。

 

たとえば「黄色」と「青色」を混ぜると、一般的にはそこには無かった「緑色」が出現する。最初から「緑色」の絵の具の発色と何がちがうのだろうか。混晶で作った色と、もともとの単色の色とは何がことなるのだろうということ。

色のちがいは可視光線の波長のちがいと対応している。

黄色と青色と緑色の光の波長範囲は以下のとおり。

・黄色 580nm ~ 595nm

・青色 435nm ~ 480nm

・緑色 500nm ~ 560nm

黄色と青色の混合が起きても、緑色の波長を出すわけではない。混合で作った緑色と、ほんとうの波長を持った緑色が、人間の目には区別つかないのかなと、長年思っていたわけである。

もっとも人間の目が、これらを識別できるとすると、絵の具の混色という技術は使えず、無限の段階をもった高価な色材を用意しなければならないので、それは絵を描くという作業がとんでもなく贅沢なことになってしまう。

地球に降り注ぐ太陽の光は、あらゆる波長の光からなっていて、連続的に変わる波長の光が混合している。その外側には紫外線や赤外線という目には見えない光も含む。

 

人間の目の機能についてふと思った。網膜にある色を感じる細胞は、錐体と呼ぶが、この錐体は3種類しかないのだった。赤に感じるL錐体、緑に感じるM錐体、青に感じるS錐体の3つだけである。(L、M、Sの名称は、波長の長い、中程度、短いに対応しているようだ)

もちろんそれぞれ感じる波長は、きっちりとした区切りがあるのではなく、広く分布している形で、主に感じる波長はどのあたりにあるかを示している。

・黄色の感じ方 M錐体+L錐体(緑と赤)が主に働く

・青色の感じ方 S錐体+M錐体(青とすこしの緑)が主に働く

 

混色した色を錐体はどのように感じるかについては、青から緑そして赤と全波長の範囲を感じているが、含む割合としては緑が多くなる。そして3つの色つまり青、緑、赤の光は、ほぼ等量混合されると色を感じない、つまり透明になる。(太陽光を透明に感じるのは、様々な光の混合のせいである)主たる成分の緑色を人間の目に識別するというわけである。

自然界にある緑色(太陽光の成分の緑色)と絵の具の混色で作った緑色は、物理的にみれば異なる波長のちがう物なのだが、人間の眼はそれを区別できないわけであった。感じている緑色の感覚は同じということになる。

 

 

 

 

 

 

 

思い上がりなんじゃないか?

(2012年1月30日 BLOG記事より)

 

日頃、気になる言い方について。

 

TVのCMなどで、商品をアピールしようとしてよく出てくる言葉。

「地球にやさしい」何たらかんたら・・・車とかに多い。

 

こんな思い上がった言葉はないのに、感覚的にはなんとなく善の香りがして心地よく受け止めてしまう。恐ろしいね。

 

親や大人が、子供や初心者にやさしい態度で接するという言い方は正しい。しかし、地球にやさしいという時、地球のことをまるで人間が好き勝手にできる所有物であるかのように言う。この胡散臭さはたまらない。

 

そのくらい人類は自然とか、地球に対して、ゆがんだ感覚を持って接している。やさしくしないと地球はガラスのように壊れてしまうかのようだ。しかし壊れてしまうのは、やりたい放題やってきたそのつけを払うことになる人類の方である。

 

地球はどんな天変地異が起きようが、相変わらず地球で、そのことは変わらない。巨大隕石がぶつかろうが、放射能に汚染されようが、地球が破壊されてしまうことはない。そういう46億年の長い歴史を経ている。ただ人間が住める環境であるかどうかは保証しない。

 

M9の地震が起きて大津波で壊滅的な被害を被ったばかりの日本。自然の力の巨大さ、人間の(文明の)無力さを、報道映像で思い知ったはずである。この地震、地球にとってはクシャミほどのことである。地球にやさしくと言っている人間の思惑に関わりなく、地球は地球の物理で動いているだけだ。

ほんとうは、荒れ狂う自然の脅威の前で、幸運にも生きながらえているのが人類ではないだろうか。

 

人間のちっぽけな知力で、自然界を全部わかってしまったかのように思い、地球を守れると思うのは、救いがたい妄想と思う。こういう思い上がりの気持ちは、結局、自然を甘く見て、災害対策の甘さにつながる。

 

われら人間にやさしい車、われら人間にやさしい洗剤といってもらいたいものだ。

微少量が全体を支配する?

(2012年1月17日 BLOG記事より)

前記事の地球温暖化の話で、二酸化炭素のように大気中の微量成分(360ppm程度)が、大気の気温を支配するとは考えられないと書いた。360ppmとは、100万個の大気中の分子あたり、360個ほどということだ。大雑把な言い方をすれば、1万粒の大気分子の中の3~4個という割合である。

 

測定された大気中の二酸化炭素濃度の増大は、NOAA マウナロア観測所のデータによれば、1960年に約320ppmで、2000年で360ppmを少し越えている。ざっと言ってしまえば、40年間で約40ppm直線的に増大している傾向を示している。1年あたり1ppmの増大ということだ。

出典:http://www.nies.go.jp/kanko/news/28/28-5/28-5-04.html

 

したがって、大気中の二酸化炭素の増える割合は、40年間で1万粒あたりの大気分子中で、0.4個増えたということである。 3.2個だったものが3.6個になった。

 

こうして噛み砕いて書いてみると、二酸化炭素の濃度の増大で(40年で1万粒あたり0.4個増える)、地球温暖化が進んで世界は破局に向かうという説が、なんだか馬鹿げて聞こえる。 あくまで感覚的なものだが、多分間違っていない。

 

こういう極微量成分が、全体の温度というものを支配するためには、なにか特別なクリティカルな仕組みを想定しなければ説明がつかない。化学反応の触媒のような、微量存在するだけで特異的に化学反応が速く進むようなメカニズムだ。それはなんなのだろう?そのようなものがはたして存在しているのだろうか?