たぶん絵的なBLOG

画材店の店主がつづる絵画や画材のあれこれ

2007-07-01から1ヶ月間の記事一覧

蓮花によせて

友人のBLOGによると横浜三渓園で蓮の花が咲いているとのこと。じつは長野の駒ヶ根の山あいにも、畑の間に池を張り蓮を育てている農家があり、先日群生して咲く蓮の花のみごとなさまを眺めてきたばかりだった。 鈴木薫さんという方の写真集『蓮花』は、書店で…

花の時

このごろ歳のせいなんだろうか、花の美しさに惹きつけられている自分を発見する。花に関する本や雑誌をいくつか購入しているのに気づく。 少し以前に、購入した澁澤龍彦著『フローラ逍遥』。これは文章を読むというより、古今の植物画を楽しむ図鑑としてパラ…

ためらいは禁物

気の進まない仕事を始めるときの心構えは、極めて単純。ためらわずスッとその中に入っていくこと。イヤでもともかく手を出す。心理的な小さなバリアを、ともかく飛び越えてしまう。この辺の呼吸はちょっとコツがいるけれど、慣れてしまえばいい。考えるアイ…

訂正

7月11日のこのBLOG記事に、ダ・ヴィンチ『最後の晩餐』に描かれたヨハネの首にはペンダントらしきものがあると記したが、これは正確ではなく訂正したい。 先日出かけた松本市美術館には、美術情報図書館があり、ここに大型本の『LEONARDO 最後の晩餐』があっ…

高島野十郎『睡蓮』を見た

昨日、松本市美術館に出掛けた。「生きる見つめる描く『日本近代画家の絶筆』100人の終止符」というタイトルの濃密な展示会を見てきた。じつはこの展覧会の紹介をTVで流していて、高島野十郎さんの『睡蓮』を、どうしても直接見てみたい衝動に駆られた。 高…

『モーリス・ユトリロ展』

よく立ち寄る書店の上階に、三鷹市美術ギャラリーという展示場があり、先日7/8までユトリロ展が開催されていた。見よう見ようと思いつつ、結局訪れたのは最終日に近い6日。会社帰りに立ち寄った。 「白の時代」を中心に80点あまりを集めた点数規模の多い展覧…

メル・ギブソン『パッション(受難)』を見て

肩のこらないアクション映画のDVDでも借りるためレンタルに出かけたが、お目当てのものは見つからず、イエス受難の映画『パッション』を借りてきて、昨晩ひとりで見た。隠す必要はないのだけれど、家族で一緒に見る気にはならなかった。イエスの悲惨な受難を…

わがままで身勝手な脳

ある本によると、脳という器官の本質は、徹頭徹尾、自己正当化、自己保存的、自己中解釈という性質を持つらしい。そういえば思い当たるフシがたくさんある。どう見ても黒としか思えないものが、人によっては白になっていたりする。交通事故の際の責任割合を…

野末陳平『定年病!』

筆者はかつて30年くらい昔によくマスコミにも出ていた売れっ子の作家、タレントのような人だった。まだ活躍されているのかとちょっと懐かしさもあり、変わった表題の本に惹かれて読んでみた。文章がこなれていて上手いなと感心した。以下、本書のあらすじ。 …

女性像

ダ・ヴィンチの絵画に登場する女性たちは、女性というより中性的で、むしろ母性的な感じだと、ネッ友のBLOGのコメントに書かれている。 ボクも同感だ。だいぶ『モナ・リザ』を眺めてみたけれど、これは女性というより母親だと思わざるを得なかった。性的なも…

表現するのは難しい

文章を書く際によくやってしまう失敗が、「楽しかった」「悲しい」「とても大変だと思った」などという主観的な感情の言葉。これは実は読者を白けさせる最たる表現である。なぜならその内容が表現されていないから。「ああ、そうかい。アンタはそう思ったわ…

草刈作業

ふくらはぎが筋肉痛になりそうだ。疲れが何となくたまっている。昨日は、住んでいる長野の地区の総出作業。つまり山に入って、下草刈り作業だった。厚鎌と言われている刃の厚い頑丈な鎌をもち、山の斜面を登りつつ、保護する苗を選り分けながら、不要な草を…

実生サボテンが

このところ暖かさを増したことと、湿度が高い日が続いたので、室内で実生をしている苗がグングンと大きくなって1cmくらいになった。好みの形態遺伝子を持つ親同士を交配した実生苗だが、果たして枯れずに大きくなるだろうか。どんな顔つきを見せてくれるだろ…

雑感

どんなときでも、与えられた環境条件に振り回されるのではなく、自発的に元気でいようと思う。人は人であり、人が自分をどう扱い、どう見ようと、それはその人の責任において起こした行動の結果である。自分の平静さを失って、それに振り回されるほどの一大…

気になる言葉

なにか気がかりな言葉なのだけれども、まだ考えのまとまりを見せないような言葉ってある。出会ったときには覚えているが、すぐ雑事にかまけて忘れてしまうような言葉。 先日(といっても2週間ほど前に)雑誌で出会った。 会長は「囲碁1級の人が10人集まろう…

どのような時でも

いろいろな人生の局面や境遇に置かれてしまった時にも、その場に応じた「幸せ感」というものが味わえるのではないかと、最近考え直した。むろんこのような漠然としたモノの言い方では、何のことか分かりにくいかもしれないが、ボクたちは(あるいはボクは)…