こころと、もの
御巣鷹山事故の20年目のドキュメンタリー番組で、
ボクはテーマをいただいた気がする。
このところ気になってしかたない。
だからちょっと記しておきたい。
犠牲者の一人で、ディズニーランドへ遊びに行き、
帰りの便で事故にあった娘さんの話。
娘さんはカメラが趣味で、そのカメラが遺品として
両親の元にもどされた。
そのカメラ、形はゆがんでいるけれど、
撮影した映像は無事であった。また、
カメラとして機能するので、ご両親はそのカメラで
いろいろなところに出かけ、娘のかわりに
写真を撮っているとのこと。
娘さんが最後に写真を撮影したディズニーランドの
とある場所にも、むろんご両親はでかけた。
記念写真を撮った同じ場所で、同じカメラで撮影もしている。
そんな紹介だった。
「そこにまだ娘が座っている気がして撮りました」と説明があったが、
もちろん怪奇現象が写っているわけではない。
そうではなく、
人への愛情とか思いとかは、
やはり思い出のものや場所につよく結びついてしまうものなのだぁ、と思った。
そこに人の思いの「せつなさ」、「いじらしさ」みたいなものを感じて、
とてもこころが揺さぶられた。
いくら心の問題、気持ちの問題といっても、
生身の人間は、遺品とか記念の場所とかの
物質的なものに思いを託すしかないのだと思った。
物心二元論のような、
こころとものを分離して考える哲学的な議論もあるけれど、
心の真実という観点からみれば、
そりゃ軽くて、なんだか青臭い・・・