たぶん絵的なBLOG

画材店の店主がつづる絵画や画材のあれこれ

2006-12-01から1ヶ月間の記事一覧

自分の向こうにあるもの

自己の内面世界の表出に終始する絵画表現というものがいかなる意味を有するものか、 正直ボクには理解ができない。他者の介在しない表現というもの、際限なく自己を吐き出す という表現形式が、いったい何者足りうるのか、どのような価値を持つといえるのか…

下達する

陶芸家の加藤唐九郎さんが語った言葉をまとめた記事を、ある書物で知る。 第1回の無形文化財に指定されたときの言葉らしい。 「やきものの道は、いつも『逃げ水を追っているようなものだ』と加藤さんはいっていた。 追いついたと思うとまた遠ざかる。一安心…

私は特別だが・・・

Y新聞の発言小町(トピック&コメント)欄を読んでいて、ふと考え込んでしまった。 『腹をわって話せない母と高校生の娘』というトピックで、つまり娘が話をしてくれなくて、 聞いても何となくはぐらかされるという母親の悩み。 コメントには「実は私もそう…

日々の思い

東京にも冷たい木枯らしが吹き、ようやく本格的な冬が来た。 長野では昨日うっすら初雪が降ったということだ。 長野の天候が、ほぼ一日遅れで東京にやってくる。 雪を降らせた寒波が、関東まで訪れたということなのだろう。 平日は東京にいて週末は駒ヶ根で…

李禹煥氏の絵画論

先日から、李禹煥さんの大部の芸術論集『余白の芸術』を読んでいる。 4,500円というちょっと高価な本だった。 だが、パラパラと立ち読みして、しびれるような共感を覚えて、 これは自分の人生に避けて通れないなと観念し、レジへ持参する。 (なにも本を買う…

恐れという見えない支配者

怒りとちがって恐れは、外部に表出することはない。 それは心の奥底に巣食って隠れている。 およそ能動的とはいえない生き物だ。 だが、人の心や行動に及ぼす影響は恐ろしいものになる。 晴佐久昌英さんの著書『星言葉』から。 愛の反対語は憎しみではない。…

怒りという感情

他人からいじめられたり、貶められたりしたときに怒るのは、 なにかが間違っている気がしている。なぜだろう。 そんな時は怒るのが当然だと、いままで疑問には思わなかったのだが、 最近それは自然ではないと感じる。あるいはそれほど自明なことではないと。…

どんな英雄でも・・・

どんな英雄でも召使の眼から見ればタダの人、という言葉について、 塩野七生さんが述べられている(文芸春秋12月号)。 どんな英雄でも召使の眼から見ればタダの人、という言葉という言葉があるが、ある程度までは正しい。身近にいた人の観察は、やはり参考…

線の質について

鉛筆画の魅力とは、鉛粉が描き出す画家の手のダイナミックスだと思う。 鉛筆という道具はとても正直に手の動きを反映する。 そのくらいのストロークで描いたか、スピードは速かったか、 止めながらふたたび描いたか、自信に満ちて描いたか、 不安な気持ちで…

また雑記で

後輩のサイトを開いて読んでみたら、冬タイヤの交換が4時間待ち! ちょっとちょっと4時間待つのだったら、自分で替えればと思ってしまった。 また4時間あれば、東京と長野を行き来できてしまうなぁ、とも。 やせ我慢なのかケチなのか時間がもったいないのか…

まったく雑記だなぁ・・・

先週末は、東京へ出張したり、その足で大阪へ行って学会に顔を出したりで、バタバタと動き回って、帰りは名古屋を通り長野に戻った。大阪大学へ行くのはたぶん初めてだったかもしれない。出張で大学に出かけるときには、何となく生協の店を覗くのが自分の習…

変容

なんだか慌ただしい、この頃。 BLOGの更新もこのところサボっていて、書く意欲が沸いてこないというか、従来のスタンスで書けば書けるのだけれど、書いたところで一体ナンボのものなんだろうと考えてしまい、そこでついえてしまう。精神的な行動エネルギーと…