たぶん絵的なBLOG

画材店の店主がつづる絵画や画材のあれこれ

『土の中の子供』を読む

文芸春秋9月特別号で、芥川賞を受けた
中村文則さんの『土の中の子供』を読んだ。
子供時代に受けた虐待とその後、
というような主題だと聞いたので、興味を持った。


継続する虐待を受けることで、肉体的、精神的な傷が深まり、
自己を変容させていくことには、ある程度理解できる。
理不尽な暴力(暴力はそのようなものだが)に対して、
自己の防衛本能から、受け取る苦痛の感覚を変質させていく
ということはあるのだと思う。


しかし恐怖の感情が、自己の皮膚からさらに浸透し、
自己自身の血肉にまで食い付いていき、
あえて恐怖を求めるようになるというところはわかりにくいし、
直感的にも(さらに文学的にも)理解はできなかった。


だが、そういう精神医学に偏ったとらえ方をしても
仕方ないであろう。文学作品として何を訴え、
何を表現しようとするのか、そのことが問われなければならない。


恐怖に追い詰められ、生命の危険にさらされ、
このままいけば確実に死に至るところで、
精神がUターンをはじめる場面が後半部にある。
どのような惨めな破壊への道に追い込まれようとも、
精神までが屈する必要はないというメッセージが出てくる。
たとえ死に至っても自分の側が勝利したのだというメッセージが。


このあたりは観念的に表現されているが、
人間の根幹に潜んでいる生命自体のエネルギーそのものの
迸りなんだろうか。そう思いたい。
主人公はそれを起点にして、
精神だけでなく現実の暮らしをもUターンさせていく。


この転換していくあたりの表現は、ややわかりにくいと感じた。
主観的な観念的な言葉で語られつづけるために、
かえってわかりにくくしているのではと感じた。
逆に言えば、生命という概念でもいいから
どこかへ集約すべきなのじゃなかろうか。
生命には、目的や観念や価値とは隔絶した
別次元のエネルギーが宿ると考えている。
そこに救いがあるのじゃなかろうか。


選考作業にあたった作家の方々のそれぞれの選評が、
冒頭に述べられている。今回は候補作全体にわたり低調だった様子で、
受賞作にもいろいろと注文がついている。
そのなかで、池澤夏樹さんのコメントは的を得ていると感じた。
「この作も骨格は要するに自問自答なのだ。・・・
ここには真の他者がいない。」