たぶん絵的なBLOG

画材店の店主がつづる絵画や画材のあれこれ

2005-07-01から1ヶ月間の記事一覧

いつか、ある日に

「進歩」の考え方が、いかにボクたちの生き方のバックボーンとして 浸透しているのか、それは驚くほどだと思う。 ある意味で、ここに切り込んでいくと、今の社会生活を成り立たせている いくつかの「安全で、健全な」考え方を捨ててしまうことにもなる。 自…

こころの変化

多忙な日々を送るうち、自分の中で何かが変化したと感じるようになった。 それはうまく言葉の表現に置き換わっていないけれど、 こころのどこかから送られてくるメッセージが変化したのだ。 こころの深いところのメッセージが聞こえるようになったこと自体が…

どちらが正しいのか

人と意見が合わないときや、衝突するときに、 どちらが正しいのかと、思考が絞られることがよくある。 これは自分の考え方のよくない傾向で、 おそらく他の人たちにも共通した傾向だろうと思う。 単純化して言ってしまえば、 自分が正しいときは、相手は間違…

焦点を絞る

絵でも、焦点を絞ることは大切だなと思う。 あれもこれも、目に入ったものを全部描いては、 結局、雑多なものを提供しているだけになる。 もっと単純化し、もっとつよく、明確にすべきなんだと思う。 このことは、裏返せば、枝葉の部分を捨てることだ。 枝葉…

字の美

篆刻に入れ込んだ時期があった。 模刻や創作なんか懲りずによくやった。 その後、忙しくなりやらない状態が続いている。 字に美しさを見出すことは、 考えるととても不思議だ。 字は、もともと言葉を記録するための道具だ。 それが、上手下手と審美的な側面…

陰の支配者

若い頃、森田療法に関する本を手あたりしだい買い集め、読んだ。 珠玉の言葉のいくつかは、意識の中からゆっくりと沈んでいき、 ひとつひとつをはっきりと意識することが出来ない。 記憶の深いところへ収納されてしまったように感ずる。 しかし何かの折に、…

脳の中の上達

理解するということは、新たな事実や情報が、 それまで自分の脳内に築いてきた体系に、 整合し合致することの確認である。 そのとき、本当にわかったという気持ちになる。 運動でも習い事でも、その技術に上達するとは、 脳の中に、自分を包含する運動モデル…

エゴン・シーレの素描

決して安くないお金を払って、エゴン・シーレの素描の複写を買ってしまった。 妻エディットが横たわっている姿を描いたモノのようだ。 年代が1918年だから亡くなる年のものである。 ひと目店で見たときから、刺さってくるような刺激を受けた。 これまで印刷…

放たれた矢

何年越しになるのだろう。 かなり昔に購入したハインツ・ケルナー『ヨハネスの問い』を ようやく読み終えた。長いこと、気になっていた本だ。 購入当時、少し読みかけて放り出した。 なんだかピンと来なかったからだ。 そうなんだ。本は読むべきときというの…

雨降る山奥で

今日は、朝7時に雨降る山奥に地区の男たちが、百人以上集合。 「財産区」に植林している杉苗の下草刈で、総出の作業だった。 昔は山はマツタケの産地だったが、いま松自体が減り、 もっぱら山林維持のための作業に終始している、というのが実情。 前日から…

妄想

むかしどこかで読んだ作家の話。 いつも白紙の原稿用紙を前にして、 もう書けなくなるんじゃないか、 もうダメなんじゃないかと、 日々そういう惧れと向き合っているという。 何かわかる気がする。 マッサラなスケッチブックを持って 野外に出かけようとする…

きりぬき

先日、京都出張へ出かけた際、まったく突然なんだけど、 小学生のころの記憶が鮮やかによみがえった。 新聞や雑誌に載る小さなイラストやカットをきりぬいて、 手のひらに入るくらいの小さな手帳に丁寧に貼っていた。 お宝だった。いつも眺めていた。 その表…

頼むということ

いろいろと、それなりのスジや理屈や言い訳があるにしても、 自分の胸の中の発電エンジンが回っていないな と思える仕事のやり方では、人は動かない。 誰かに仕事を依頼するとき、 自分がやりきれないので放り出した形ではなく、 自分のコンセプトを十分に練…

生き生きとした線

最近、絵画の線に妙にひっかかりを感じる。 それは絵画の線にこめられたメッセージに反応しているのだと思う。 これはこんな気持ちで描いたに違いないとか、 ここはためらっているとか、苦しんでいるとか。 自分が描く場合もおなじ。 風景画の下書き線の、始…

書く動機

通常のWEBサイトを1年余り続けてきて、どんな筋肉が鍛えられたのだろうと考えた。 なにより、文章を書くスピード、まとめかた、パターンをおぼえたこと、 いわば「文章の筋肉」みたいな部分だった。 ではなぜ文章をつづり、絵を描き続けてきたのだろうか。 …