たぶん絵的なBLOG

画材店の店主がつづる絵画や画材のあれこれ

表現するのは難しい

文章を書く際によくやってしまう失敗が、「楽しかった」「悲しい」「とても大変だと思った」などという主観的な感情の言葉。これは実は読者を白けさせる最たる表現である。なぜならその内容が表現されていないから。「ああ、そうかい。アンタはそう思ったわけだ。そりゃよかったね」で、終ってしまう。
何が楽しく、何が悲しいのか、文章や作品を通して読者に追体験させるものでなければならない。


こうなる理由がある。自分の感情の表出が、そのまま文章になると思っているからだ。つまり主観的な思いや感じたことを表に出せば、それが表現になり読者に伝わり、感動を手渡すことができると見なしているからだ。そんなことはない。人に読んでもらおうと思った瞬間、文章を書く姿勢を厳しく見直すべきじゃないか。これは文章に限らない。絵画でも音楽でもたぶん表現に関わる分野には、同じ事情があると思う。


表現するとは、仮想的な空間を作り出しそこに読者を誘い込む、と言う構造を持つ。作者イコール作品ではありえない。どんな個人的な事情が書かれた作品でも、作者とは独立した、巧みに構成された虚構の存在である。ここに芸術表現として離陸できるか否かの分岐点がある。とても微妙なところだ。しかし肉声は表現(芸術)ではありえない。

(ちょっと厳しい言い方になったが、たぶんにこれは自戒を込めている)