たぶん絵的なBLOG

画材店の店主がつづる絵画や画材のあれこれ

どのような時でも

いろいろな人生の局面や境遇に置かれてしまった時にも、その場に応じた「幸せ感」というものが味わえるのではないかと、最近考え直した。むろんこのような漠然としたモノの言い方では、何のことか分かりにくいかもしれないが、ボクたちは(あるいはボクは)、「幸せ感」や「充足感」というものを難しく考え過ぎていなかったかと、遅まきながら気づいたというわけなのだ。


幸せというものを、なにか固定したパターンやスタイルがあり、しかも遠くにあって並大抵には手に入らないもの、と決めつけていたのじゃないかと思う。でも本当はそうではなくて、「幸せ感」はそこかしこに転がっているようなシロモノだと考えるようになった。いや、小さなことに宿っているといった方がいいかな。

一日の仕事を終えて、夕方の涼しい風に頬をなぜられている瞬間。
ちょっとしたアドバイスをしたことが、予想外の効果を生んでいると知らされるひととき。
なかなか分からなかったソフトの使いこなしのコツをフッとつかんだステップアップの瞬間。
思いがけなくプレゼントをもらったとき。


いずれも大仰に構えて目標を達成したというような類ではなくて、自分の生き様が、大筋間違っていなかったと思えるようなささやかな瞬間のできごとである。でもこういう小さなできごとの方が、ボクたちの気持ちの張りを与えてくれて、気持ちも弾んでまたある歩いていける原動力を生んでいるのではないだろうか。不運に見舞われていても、逆境にあってもこれは変わらず生きる力を与えてくれるように思うのだ。順境でなければ「幸せ感」はないと、自分から決め付ける必要はないのだと。