下達する
陶芸家の加藤唐九郎さんが語った言葉をまとめた記事を、ある書物で知る。
第1回の無形文化財に指定されたときの言葉らしい。
「やきものの道は、いつも『逃げ水を追っているようなものだ』と加藤さんはいっていた。
追いついたと思うとまた遠ざかる。一安心するともう同じものはできない。
一生行きつ戻りつの連続だと。
勉強するればするほどまずくなって、作陶がいやになることもある。
書道の大家、会津八一氏にその辺の事情を聞かれたらしい。
会津氏の答えた内容は、次のとおりだったらしい。
「書を習っていて上手になったと思うものはホンモノではない。
やればやるほど下手になると思うものこそホンモノだ。」
・・・
実際は上達しているのだが、鑑賞力が豊かになるから自分の醜さがわかる。
醜さがわかってこそ一人前だと会津氏は諭した・・・
(昭和60年12月25日 毎日新聞)
やればやるほど下手になるとは面白い。そうかもしれないと思う。
剣術を志した男が、達人のところへ行き入門を申し入れる話を思い出した。
男は聞く「何年くらいで上達するものなのでしょうか。」
達人の答え、「まあ10年くらいでしょうな。」
男、「一所懸命に修行したら何年くらいになりましょうか」
達人、「一所懸命に修行すれば、20年くらいかかるでしょう」
男、「死ぬ気で寝食忘れて打ち込めばいかがでしょうか。」
達人、「そのときは、まあ30年はかかるでしょう。」
追い求めるレベルが高ければ高いほど、自分のいるポジションが低いことを知る。
つまりは下達していく。
目が開ければ開けるほど、上には上があり、ものすごい人たちがいることがわかり、
自分の至らなさを痛感する。
この辺の消息は、仕事でも、芸事でもスポーツでも同じかもしれない。
手や動作の技が上達すると同時に、それを見る観察力もまた上達していくのだ。