日々の思い
東京にも冷たい木枯らしが吹き、ようやく本格的な冬が来た。
長野では昨日うっすら初雪が降ったということだ。
長野の天候が、ほぼ一日遅れで東京にやってくる。
雪を降らせた寒波が、関東まで訪れたということなのだろう。
平日は東京にいて週末は駒ヶ根で生活する2住生活がもう7年目になる。
この中で長野と東京の天候のズレを体感した。
自分の娘たちはすでに成人しているが、このごろ街で見かける
あどけない子供たちの姿に妙に惹きつけられる。
子供のききわけのない言動や、メチャクチャな生き方、
奔放な興味の移り変わりが、なんだか自分のことのように感じるときがある。
そうなのだ、かつては間違いなくそのとおりだったのだ。
大人になった自分は、その事実をいつしかはるか遠くに追いやって、
忘却しながら暮してきた。
世の中の出来事はみんなどこか自分と無縁ではないと感じる。
犯罪が起きれば、その犯罪は自分と無縁ではないと。
自分も心にもその犯罪の種になるものはある。
犯罪者がエイリアンで、全く別の生活感情を持ち、風変わりな生き方をしている
というわけではない。どこか連帯責任があるのではないだろうかと懼れる。
見た目はぜんぜん別の人間で、顔も性格も年齢も違うのだが、
一方では同じ人種で、同じ人体構造で、同じ遺伝子構造を持っているではないかと。
タンパク質の集め方のクセがちょっとあっただけだ。
自分ばかりが世の中とは異なり特殊であるわけない、
という気持ちがどこかに潜んでいる。
いじめ事件があれば、自分はいじめた側の人間であったかも知れないし、
いじめられ自殺を考えている子供であったかもしれない。
こんな考えは思想でもなんでもなく、単に日々の感想に過ぎない。
しかしその感想はたぶん間違っていなくて、人生の一番奥底から湧いてくるもので、
自分の人生の中で繰り返し繰り返し反芻されてきたものだという確信がある。
理由なんてわからないけれど。