たぶん絵的なBLOG

画材店の店主がつづる絵画や画材のあれこれ

妄想

むかしどこかで読んだ作家の話。
いつも白紙の原稿用紙を前にして、
もう書けなくなるんじゃないか、
もうダメなんじゃないかと、
日々そういう惧れと向き合っているという。


何かわかる気がする。
マッサラなスケッチブックを持って
野外に出かけようとするとき、
もうあの調子では描けないかもしれない、
もう線が走らないかもしれない、
そんな思いがどこかから湧いてくることがある。


でも経験からわかっているのだけれど、
そういう惧れと絵画とは全く関係がない。
そういう気持ちの揺れやさざなみと、
実際、描く絵とは無関係なんだね。
惧れの気持ちをぶつけて絵を描くわけではないからだ。


絵を描いているとき、すでに自分のことは忘れている。
自分の気持ちや揺れのことなんか吹き飛んでいる。
この線は新鮮だとか、この色は少し強いとか
モノに即して手や頭を動かしている。
向き合っているものが、やはり美の世界なんじゃないだろうか。


たぶん惧れというのは、自分の気持ちに囚われて
自分で自分の気持ちを問題にしているとっても変な状況なのだ。
でも、なにかコトを始めるときは、気持ちが「手ぶら」状態になって、
いろいろと余計なことまで妄想する。


小人閑居して不善をなすとも言う。
ごちゃごちゃいろいろ考えるものだけど、
みーんな無駄だったね、ということが結構あるものだ。
そこへ入る前の逡巡のときと、そこに入りモノに即した状態との、
なんという違いなんだろう。