たぶん絵的なBLOG

画材店の店主がつづる絵画や画材のあれこれ

生き生きとした線

最近、絵画の線に妙にひっかかりを感じる。
それは絵画の線にこめられたメッセージに反応しているのだと思う。
これはこんな気持ちで描いたに違いないとか、
ここはためらっているとか、苦しんでいるとか。


自分が描く場合もおなじ。
風景画の下書き線の、始めの一本が走って、
これはうまくいくぞとうれしくなったり、
何だか始めの線がきまらずに、
プスプス不完全燃焼したような、
ハッキリしない気持ちのまま描きつづけるときもある。


素描というとエゴン・シーレをまず思い浮かべてしまう。
エゴン・シーレの線のなんともいえない味わいが好きなんだ。
「ああ、やっぱりそう来たか、そういう線もある得るね」
「おっ、やけにマジメに来たじゃないか」
などとひとりで会話をしてしまう。
こちらの予想外のところで勝負されると、
やはりシーレは天才だと思う。


エゴン・シーレの絵画を、エロチックだとかグロテスクだとか
そういうとらえかたで片つけられてしまうことがままある。
確かにそういう世界と隣り合わせのところで、数多くの素描を残したから
そんな見方もあるのだろう。


しかし画家は、対象を通じ、そこに愛とか性とか生や死をかいま見る。
対象を通じて見えてくるものに、画家の焦点は合っているはずだ。
対象は人物であることもあるし、風景だってありうる。
エゴン・シーレの裸体の素描を見ていると、
愛する存在を描きながら、チラチラと陰に潜む死の影を
思い浮かべていたのではないかと思える。