たぶん絵的なBLOG

画材店の店主がつづる絵画や画材のあれこれ

Photoshopという剣山

画像処理なんて、ドット数だけのカラーの指定だけという言い方もできる。そんな理屈っぽい数学マニアみたいな言い方は容易にできる。しかし言うのは勝手だが、それはとんでもない素人の言い草だ。そのことが身に沁みて分かる。いやようやく分かってきた。実は自分のことを振り返って言っている。


それが証拠には、どれだけPhotoshopの参考書を買い込んだことか。
理解できなくてまた別のものを買い込み、まだ理解が不十分でまた買う。あたらしく解説書が出ると買う。どれも消化不良。本棚の中はPhotoshopの解説書でひしめいている。それでもまだ何か釈然としていない。


なぜ分からないのだろうと考えることしきり。そんな悩みを抱えて何年も過ごして、やっとなんとか冷静になることができて、そりゃ当たり前のことだったと分かる。だって、そうだろう。ここに名画があり、美しい色彩と形に溢れているとしよう。で、どんな名画だって、デジカメで撮影してしまえば、何百万画素のラスターデータ(ビットの集合イメージ)に変換されてしまう。


ビットの集合体という言い方で括ってしまえば、どんな名画もこのカテゴリーに納まってしまう。でもそれだけのことで、言ったところで名画のなにものもよく理解したことにはならない。色彩の組み合わせや上品な色合いなど、何ごとも理解したことにはならない。ドットの集合体と名画とは、天と地ほどの別ものだ。


Photoshopというソフトは、確かに選択した範囲のドットのカタマリを容易にある数学的規則で変換するかもしれない。でもそこからは多様な変化が生まれるだけで、名画と称される素晴らしい画像が出現するはずもないのだ。そこにはデザインや絵画に必要な「美」に関わるある能力が必要であり、その能力の命ずるままにPhotoshopのコマンドをあやつる言語技術が必要だ。


Photoshopは、優れた絵の具かもしれない。でもそれだけでは何も生まれない。それを操り素晴らしい美を生み出すのは、絵の具を使う筆であり、手であり、眼であり、美を見ているこちら側の何かなのだ。まあこれは言ってみれば単純なことなんだけれどね。


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