たぶん絵的なBLOG

画材店の店主がつづる絵画や画材のあれこれ

何だかよくわからないけれど

バトンを渡されてしまって、途方にくれていて、まあいいや、好きなこと書いてしまえ、
という記事です。
(こんなことを始めに断って書くと、なんだか土佐日記の書き出しを思い出すなぁ・・・)


渡されたバトンは、作家ということなんだけれど、
画家とか書家とかは表現対象が名前についている。だからはっきり分かる。
しかし小説の場合、小説家という言葉があるけれど、作家とも言う。
『作』ってなんなのだろう。作に小説という意味があるんだろうか。
辞書によると、新しく作られたものが、『作』ということらしい。
まあ、これもいいか。


■惹かれる『作家』
いまいちばん惹かれている作家は、村上春樹さんです。なぜって、いつも詩を感じるから。
まだ数編くらいしか読んでいないけれど、裏切られない。「象の消滅」がとってもよかった。
パン屋再襲撃」もいい。ボートから身を乗り出して、海の底を覗き込むところ。
なんだか理屈なく惹かれる。


なぜ自分は小説を余り読まないか、今、ボンヤリ判った気がした。
せっかく時間をかけて(ボクは読むのが遅い)読んだのに、
期待していたほど読後感を残してくれない、肩透かしがイヤなんだ。
読むんじゃなかったという後悔を何度かして、イヤになったのだ。
その点、詩の場合はあっという間に読めてしまう。
損失も少ないというわけだろうか。


あと惹かれているのは、ドストエフスキー。これは若い頃から惹かれつづけている。
しかしこの作家は、いまだにわからないところがある。
罪と罰」で、いちばん印象に残っているのは、金貸しの老婆に斧を振り下ろすところ。
ラスコーリニコフは、斧を振り上げた後、驚く老婆にちからの限りで打ち付けるのではなく、
力なくためらいながらそのまま振り下ろした、という描写が妙に真に迫っている。
そして一度振り下ろした後は、ためらいが消えて、力を込めて何度も・・・
まったく実話から小説を起こしたのだろうか、と思うくらい。
ドストエフスキーの小説で、いちばんのお気に入りは「地下生活者の手記」。
現代社会の人間の生きる余地のなさ、希望のなさ、病理を遺憾なく表現していて、
絶望あるのみという世界が語られる。
この提示された世界を、現代は克服したんだろうか。そして自分は。


思いっきり、系統のちがう作家といえば、「赤毛のアン」のモンゴメリ
この小説は、愛読書に近い。本当のところ、アンという少女に文句なく惹かれている。
いい年した男がおかしいなとは思うものの、生命力がはちきれているようなアンの
生き方、話し方、行動がとても魅力的。


けっこう理屈を踏み外した世界を描いた小説類が、自分の好みなのかもしれないなぁ、と思う。
こうして脈絡なく書いていると、自分のクセというか傾向が分かるもので、
こんな機会を与えていただいたことに感謝して筆を置きます(古いな。
キーボードを休ませます、くらいの感じ)。


特にバトンをどなたかに振ることはいたしません。