たぶん絵的なBLOG

画材店の店主がつづる絵画や画材のあれこれ

[音楽]自転車では危険ですが

行き帰りの通勤自転車でiPODを聴いている。先日、パウル・マイゼンのバッハ演奏のCDをインポートした。20代、30代の頃にはあまりピンと来なかったマイゼンだが、彼のバッハ演奏をかみしめるように聴いている。


若い頃は、オーレル・ニコレ一辺倒だった。ついでペーター・グラーフ。3番目くらいに、グラフェナウアーかマイゼンという順序。マイゼンは、何だか真正直すぎて面白みにかけ、いかにもドイツの片田舎という雰囲気に感じていた。精神的な深みや情熱を語らせたら、そりゃニコレでしょと思っていた。カール・リヒターとニコレの演奏といったら、もう至宝といってもいいくらいに思っていた。


しかしマイゼンの抑制のきいた枯れた深い味わいも、あらためて聴くとまたいいのだ。色で表現したら、ニコレは教会の祭壇の翳りの色合いだが、マイゼンは紅葉で色づきはじめた公園の森を感じる。熱くなく、かといって醒めているのでもない。中庸を行く演奏は、時に純朴すぎないかと思うのだが、一貫した姿勢の魅力に気づいた。
むかしマイゼンが来日したときにコンサートに出かけたが、予想通り端正な姿勢を貫いて吹き通したという印象だった。


マイゼンの愛弟子である大友太郎さんの演奏を、かぶり付きみたいな席で聞いたことがある。その深い音色は柔らかく強く、こんなうまい人がいるのかと驚いた。マイゼンと大友さんがデュオで吹いたバッハ・アーベントというCDがあるのだけれど、これはボクのお宝になっている。大友さんが書いていたのだろうか、定かでないのだが、マイゼンに師事していたときの話かと思う逸話が印象に残っている。大友さんは他の生徒がマイゼンのレッスンを受けている音を、建物の外で遠くから聞いていたそうだ。生徒の出す音は曖昧にしか聞こえないのだが、マイゼンのレッスンしている音がはっきり届いているというのだ。
無駄のない音で、まっすぐに吹くという、マイゼンらしい話だ。こういう生き方、人生もまたいいものだ。