たぶん絵的なBLOG

画材店の店主がつづる絵画や画材のあれこれ

その瞬間

車の通勤でいつも渡っている踏み切りがある。以前ここでとても心揺さぶられることがあった。そのことがずっと気になっていた。


踏み切りの前で一時停止、安全確認をしてアクセルを踏み込み車を前進させる。このときに遮断機が降りる警告音がカンカンと鳴りはじめることがある。


アクセルを踏み始めたあとに警告音が鳴り始めるのならば、すばやく渡ってしまおうとアクセルを踏み続ける。逆に、一時停止し安全確認中に警告音が鳴り始めたら、ちょっと舌打ちか何かしながら、遮断機が降りるのを待つだろう。


ところがその日は、安全を確認しアクセルを踏もうと心で「決心した」その瞬間に、カンカンと警告音がなり始めた。すると自分でも不思議なくらい、ひどい心の動揺状態の中に叩き込まれてしまった。この瞬間だけは、何ものも心に飛び込んでほしくない瞬間というのがあるようなのだ。つまり丸裸で無防備なのだ。


いたずらで待ち伏せされて驚かされたりするのは、自分の側に行動の意思がなく、ただ受動的に不意打ちを喰らうだけだ。ところがこちら側が何らかの行動の意思があって、そのタイミングを計っているようなときは、集中して向こう側を見ている。そして「今だ!」という瞬間が訪れる。このときはどうも心は、ガラ空き状態、隙だらけなのだろうと思う。


ずっと昔だが、武道の世界を取材したTV番組を見た。その番組のなかで印象に残っているのは、武道の達人が、襲いかかる相手に指一本も触れないで、倒したり投げたりする映像だ。達人ならではの技だという説明だったが、襲いかかる相手が複数いようが、達人が目隠ししていようが、この達人を打ちのめすことができない。


弟子たちとグルでお芝居をしているように見えるので、今度は番組取材のリポーターが襲い掛かる役目をやることになった。その結果はさらに悲惨だった。襲いかかると思われる(まだ身体は何の動きもない)瞬間に、達人は一声を発した(一喝という感じ)。リポーターはその場にへたり込んで、腰抜け状態になってしまった。まさに行こうと決心したときに一喝を喰らうことは心胆を寒からしめる、とても恐ろしい体験だそうである。


襲う瞬間に人間の心はその対象に向かい、ガラ空きになる。いわゆる隙ができる。達人はその瞬間を心で読む。すかさずそこに付け入り粉砕してしまうということだった。その心境が無心という説明だった。達人同士が向かい合うと・・・にらみあったままになるらしい。