たぶん絵的なBLOG

画材店の店主がつづる絵画や画材のあれこれ

久石譲『感動をつくれますか?』

またまた久石さんの著書に関して感じたことなどを。
クリエイティブな人というのはどういう風にものごとを捉え、感じ、何に向けてアクションを取るものなのか、その内燃機関を目の当たりに見てきたという気持ち。読了していちばんの収穫は、この体験だったと言える。

 最近いろんな人と話していて思うのは、結局いかに多くのものを観て、聴いて、読んでいるかが大切だということだ。
 創造力の源である感性、その土台になっているのは自分の中の知識や経験の蓄積だ。そのストックを、絶対量を増やしていくことが、自分のキャパシティ(受容力)を広げることにつながる。
p.48

ものすごく当たり前のことを述べているように感じてしまうが、この内容の真の意味は深いと思う。クリエイティブな仕事や作品の幅は、その人の経験や考えたこと、感じたことの範疇を出ない、という恐ろしいことを言っている。つまり平凡な経験とありきたりの感想と見たままの思いつきで考えているようでは、作品はつまらない凡作だということを暗に指摘している。思いがけない展開の小説や、何だかよく理解できないが心を捉えてしまう絵画作品というのは、作品が読者なり鑑賞者を凌駕してしまったといえるからだ。クリエイターの勝ちなのである。優れた感動を呼び起こし涙を流すとは、読者なり鑑賞者側の「負け」、つまり「すっかり参りました」という白旗を揚げることと等価なのだ。


もうひとつ。関連して。

ものをつくることを職業としていくためには、一つや二つのいいものができるだけではダメだ。生涯に一作であれば、誰でもいい曲がつくれる。小説だって書けるし、映画だって撮れる。必要最低限のスキルを身につけて本気で取り組めば、どんな人でも立派な作品を生み出すことができる。だが仕事は”点”ではなく”線”だ。集中して物事を考え、創作する作業を、次へまた次へとコンスタントに続けられるかどうか。それができるから、作曲家です、小説家です、映画監督ですと名乗って生きていける。
優れたプロとは、継続して自分の表現をしていける人のことである。
p.20

読み返すたび恐くなる。こんな厳しい基準で仕事をしている人がいることを目の当たりにした気分。ほぼ毎日のスケジュールが紹介されていたが、集中するための時間割ということだ。

・・・
シャワーを浴びて、昼の十二時過ぎにスタジオに入る。
夕方六時まで曲つくりに没頭。
六時から夕食。空腹であってもなくても強制的に夕食を摂る。
七時半にふたたびスタジオ内に戻り、夜中の十二時か一時ごろまで曲つくり。
張り詰めていた神経をアルコールでほぐし、身体のほうはストレッチでほぐす。
ベッドに入って本を読みながら就寝。午前三時半か四時頃眠りにつく。
p.24

次の述壊は、ちょっとかっこいい言い方ではあるが、正直な語り口。

 ときどき、音楽は僕自身を決して幸せにしてくれないのではないか、と思うことがある。それほど僕を悩ませ、苦しめる。しかし、それでも僕は音楽がやめられない。何もないところから曲を作り出す瞬間が、何物にも代えがたく幸せであるから。
p.138