たぶん絵的なBLOG

画材店の店主がつづる絵画や画材のあれこれ

リンゴの木

今日で夏休みが終わり明日から仕事の日々になる。サザエさん症候群というらしいが、休日が終わり、さあ明日から出勤という日曜日の夜7時頃、どことなく落ちつかず、精神不安定状態に陥る傾向が昔からあった。これが連休ともなると休日の長さに比例して、サザエさん症候群が激化する傾向にある。


でも最近はあまりそのような気持ちにならない。サザエさん症候群を長年見つめ続けてきたその成果というのか、心の移ろいを知ってしまったというのだろうか。いやいや、そんな格好のいいことではない気がする。要するに歳を重ねて図々しくなっただけというのが本当のところだろう。休日モードから仕事モードに移る瞬間をどこかに仮に決めたとして、その瞬間を迎える前の心の揺らぎと、その瞬間を過ぎた後の心の変遷を何百回と見てきた。経験談として気付いたことがいくつかあるだけだ。
たとえば、気にしているその瞬間を迎えるとどうなるか、実際予測したとおりの状態には現実は進まないこと。予期不安を起こしていると、常に現実を悪くとらえすぎる傾向を生むこと。


で、最近よく思い浮かべるのは、リンゴの木の話だ。
その話とはこんな内容の話。核戦争か、環境破壊か、あるいは巨大彗星の衝突などの不可避の原因により、明日には確実に世界が破滅してしまうことがわかっているとき、自分は何をして明日まで時間を過ごすだろうかという話だ。どこで読んだのか定かでないが、その本には、それでもリンゴの木を植え続けるという男が登場する。世界が破滅してしまうのだからリンゴの木を植えてもそれが育つことは期待できない。そんなことはムダだ。それでも決然として木を植えると表明する男の話。


世界の破滅という悲劇的な内容でなくとも、たとえば己の死を迎えるときでも事態はかなり似ていると思う。残された時間のうちに何を自分はするのか。サザエさん症候群は、このような事態に置かれたときに、心を取り乱している状態にとても似ている。
長年、サザエさん症候群を考え続けてきたと格好いいことを書いたけれど、リンゴの木の話に出てくる男のような態度がいちばん自然で、いちばん安定な道だなという心境になっている。つまりこれまでと同じ道を、ごまかすことなく淡々とおこない時を過ごす。取り乱したって何にも変化しないということなのだ。人生のときを過ごすというのは、そのくらいどっしりと自分の道を歩むということに他ならないのではないかなと。