たぶん絵的なBLOG

画材店の店主がつづる絵画や画材のあれこれ

うかつなことに

昨日、会社帰りに吉祥寺の啓文堂書店に寄った。久しぶりに詩集のコーナーを巡ったら、なんと池井昌樹さんが、詩集『童子』で詩歌文学館賞を受賞されているではないか。ここのところまったく詩の方に気持ちが向かないというか、詩の羽ばたきあるいはささやきが全く感じられない自分の能力の無さ、気力の無さに嫌気がさして、悪い癖だがそこから逃げてしまっていた。そんな詩にひたむきな方々への申し訳なさみたいな気持ちをうすうすと味わっていたのだ。


さっそく『童子』を買わせていただいて読み始めた。池井さん、なんと真っ直ぐと、ご自分の世界をますます深めて展開しているのだろう。その世界の見事さに感動を覚えて打ちのめされてしまった。全編をまだ味わったわけではないけれど、たとえば冒頭の「弓」という作品。自分の言いたかったこと、感じていたことをここに見出す思いがする。解説した瞬間に違うものになってしまう気がするので、詩の解釈をするつもりはないが、それにしても生命(いのち)の連綿としたつながりはどこから来てどこへ行くのだろう。自分はその連綿とした流れの中で何を担って何を手渡せるのか。そして人間は結局どこへ向かって歩んでいくのか。あるいは大いなる存在が誘っているのか。


いつか池井さんの詩の評論を生意気にも書いてみたい。語りつくせないとは思うけれど。しかし池井さんの見ているその一点を、自分も巡っていると勝手に思っている。それは仏教のような世界観なのかもしれないし、より原始的に世界と触れている表面に刹那的に見え隠れしているものかもしれない。それは言いようのないものである。言いようのないものだけれど言わざるを得ない。