たぶん絵的なBLOG

画材店の店主がつづる絵画や画材のあれこれ

季節は巡って

気がつくと駒ヶ根の東伊那の風景が、すっかり新緑の衣をまとっている。平日は東京で働いて一週間ごとに駒ヶ根に戻るので、ことさら変化に気づくのかもしれない。毎年の新緑風景には、やはり心をうたれる。とくに朝方の空気がしっとりとして停まっているかのようなときは最高だ。


冬枯れの茶系統の色彩の風景は、どこか平板な印象でしかも渋い。木々の新芽が出始めると、風景画に緑の着彩が施されるような、下絵に描きたかった本命の緑を入れていくような感じがする。そして風景の遠近感が増して立体化されるような気がする。風景のあちこちで生命の息吹を感じて、息づいている空間を意識するからだろうか。


おそらく太古から生命にとって、新緑は重要なしるしを示していたのだろう。植物も動物も気温が上昇して活動期に入る。あれほど枯れ枝のようだった幹に、小さなふくらみが出てきて朱色と緑の微妙な色彩の新芽が盛り上がってくる。厳しい冬に耐え、やはり生きていたということを実感する。


風景画をなぜ描くのかという理由を、この季節には再確認する。この風景を写しとりたいという気持ちとともに、生命の中に自分が包まれていたことを感じてそれをお祝いしてみたい気持ちが作用するのだと思う。