うかつなことに 2
一編読んでは本を閉じ、その余韻が残るままにバッハなんかを聴いて、またふたたび傍らの詩集を開いてはまた別の一編を読み、そして閉じて空を眺める。
今日は何となく、ブランデンブルグ協奏曲を聴いて、そのあとヴァイオリン・ソナタ第4番ハ短調。第一楽章はゆったりとしたラルゴ。これはたしかマタイ受難曲のペテロの嘆きのアリアの旋律だ。演奏はギドン・クレーメルで、粘りつくようなヴァイオリンの感情表現は一級品だなと。そんなことを思いつつ、幸福な時間を過ごした。
朝会社の出掛けに読んだ『僧形』がとっても印象に残っていたが、なぜなのか少し判った気がした。絵が浮かぶのだ。手を祈りの形にして目を閉じ、霞のかかった水面に横たわる僧侶がいてよく見るとそれは自分である、そんな日本画のような画像が。
心の原風景のような絵画が思い浮かぶ。久しぶりに池井さんの世界に触れてそう思った。『黄水晶』という作品では、窓に見えるひとりひとりが見えてしまう。その映像の強さと悲しさのような味わいが、ボクたちの生きる何とも言いようのないこの世の中の実相を映し出しているように感じる。
・・・
夜汽車がそらをすべってきます
きれいなあかりのみずみたす
ひとつひとつのちいさなまどに
ひとつひとつのよこがおが
なみだぐんでもいるんだろうか
・・・p128 黄水晶より
先ほど読んだ『りんさんの月』も、いいな。
詩は、どんなに苦労して書いたとしても、読んだときに心に真っ直ぐ訴えてこなければいけないんだと教えられる。