たぶん絵的なBLOG

画材店の店主がつづる絵画や画材のあれこれ

あの葡萄はすっぱい

人間は弱いと思いますね。熟考して結論を得てそれを実行に移しても、思ったように結果がでないときがあります。想定した結果がでないとき、迷いが心に生じます。時間が必要なのだと言い聞かせていても、結果がでてこない以上、何かが間違っていたかもしれないという疑念はぬぐえません。じっと待つしかないのだとわかっていても、不安な心が生じていることには変わりありません。いろいろな悪い想像があたまを巡ります。


不快を嫌い、快を求めるというのが人間の基本的な欲求です。不安な気持ちを抱くということはとても不快で落ち着かない状況に置かれることです。結果がでてくるのを待つあいだ中、不快に耐えなければなりません。でもたいていの場合、不快を回避する方向に流れてしまいます。結論が間違っていたかもしれない。だからこの行動は誤った方向に進んでいるかもしれない。こんなふうに自分で出した結論を疑り始めます。あれは違っていたと、あっさり転向する場合もあります。あれほど検討して出した結論にもかかわらず・・・


脳というのは自己内部の整合をとることに長けています。あっさり転向するのは、その方が整合をとることができ、理由付けが完成するからです。振り返るとき、自分はなんて弱い存在なんだと思います。不快さに耐えることができずに、こんなふうに考えてしまったのだろうと思うのですが。


むかし、外国語の授業で、イソップ物語の英語版が教材として使われた記憶があります。教材の第1話が、『キツネと葡萄』という寓話でした。たわわになった葡萄を見つけたキツネはそれを得ようと何遍もジャンプするのですが、葡萄がなった木が高くてどうしても届きません。食べたいのにそれを取ることができないのです。欲求と行動が結びつきません。ここでキツネは不快な心理状態に置かれてしまいます。やがてキツネは不快な状態を、解決して合理化する案を思いつきます。つまり葡萄は「すっぱい」のだと。食べたことはないのですが、あの葡萄はすっぱいので、取って食べる行為は無意味なのだと。


この寓話は、それこそ人生の中で何遍となく反芻しました。あ、今、またすっぱい葡萄になったなと。


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