たぶん絵的なBLOG

画材店の店主がつづる絵画や画材のあれこれ

作品展がおわって

先週末で教室の作品展がおわり、作品が戻ってきました。この展示会は、教室へ通い始めてちょうど一年の節目であったと思います。これからの方向を考えるとき、アクリル画に関しては、ただ対象の表面をなぞって描くだけでなく、その先にある「表現」にまで足を踏み入れたいと思いました。


昔から抱いていた「精密に描くこと」への疑問が、ムクムクと頭をもたげているように感じます。絵を描くテクニックを磨けば磨くほど、まるで写真のように精密に描くことはできるようになるでしょう。しかしその技術の高さを示すような絵を描いても仕方ないなと思ってしまうのです。それは「絵を描くための通過点」であっても、「絵の最終目標」ではないという思いです。


絵を描くとは、自分の表現をすることに他ならないと考えています。見えている対象を限りなく正確に描く精密画のような絵画は、写真の世界がある以上、描く意味というのはどうなのでしょうか。極論をすると、写真を撮って、レタッチソフトで不要なゴミや電信柱などを消し、色調を補正すれば、精密画の表現は代用できるように思います(むろん画素数の問題などがありますけれど)。


あるいは意図的に画像をデフォルメし、別の画像と合体させたりすれば、それはもう絵筆によらない表現となるでしょう。実際そこまでソフトが進んでいますからね。未来の絵画として、精密でありかつ創造性のある画像が絵筆抜きで創り出される可能性があります。


ピカソマチスの若い頃のデッサンを、以前本で見たことがありますが、それはそれは素晴らしいテクニックでした。画面を構成するトーンのバランスのよさ、光と影の扱い、さらに画面からにじむ上品さなど、10代ですでにデッサン力は完璧なレベルに達しています。でもこれが修行の一段階、表現にいたる通過点なのですね。表現とは何なのかを考えるとき、いつもこのピカソマチスのデッサンのことを思い起こします。




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