たぶん絵的なBLOG

画材店の店主がつづる絵画や画材のあれこれ

ある展示会で

今日(正確には昨日5/20ですが)、鉛筆画の作品展を見てきました。作者はイラストレータで、プロの方とのことでした。この作品展を見る機会を得て、大切なことに気づきました。それは作品に必要不可欠の要素があるのだという事実です。


表現された作品の持つ世界の広がりやインパクト性、新規性は、それを鑑賞する人の想定を上回らなければならない、ということです。それが欠けるとき、表現されたものは作品というより習作になってしまうのだと。習作は、言葉のとおり習い作る、つまり誰かが(先人や先生が)すでにやったことをなぞるということです。どれだけうまく描けていても、巧みなテクニックを駆使していても、習作はやはり作品にはならない。鑑賞者の見る目や枠組みをぶち破るようなインパクト要素を持ち得ないからです。


表現というのは、作者の見方を提示するということと同じであると感じます。たとえば、石ころを描いた人は数限りなくいたと思います。しかし、石をどのような表現で表わすかに関してはおそらく無限です。表現とは作者の見方です。石ころの物理的・化学的な組成や色や形は、昔から一貫して変化していないと考えられます。それでもさまざまな人が石ころを見る。そして描く。さまざまな見方があるのだということです。そこに表現が成り立つ。


したがって作品の成り立ちに必要なのは独自性、新規性です。石を描いていても、花を描いても、風景でも、自分はこのように世界を見たという主張がなければならないと思います。それが作品から伝わるメッセージなんだと、改めて感じました。芸術という括り方は好きではないのですが、このことは芸術全般に通じているように思います。詩に関しても同じ。小説や音楽の世界も同様でしょう。


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