たぶん絵的なBLOG

画材店の店主がつづる絵画や画材のあれこれ

『ただ揀択を嫌う』

至道無難という江戸時代初期の禅者がいた。経歴の詳細はよくわからないようだが、愚堂禅師から与えられた公案を30年かけて解き、50歳を越えてから仏門に入った人らしい。至道無難(しどうぶなん)という名前は、以下の『信心銘』句から借りたもののようだ。
『至道無難 唯嫌揀択(しいどうぶなん ゆいけんけんじゃく)』
訳:大道は難しいものじゃない。ただあれこれと選り好みしなければ。
至道無難禅師に印可を与えた愚堂禅師が、この名前を送ったとされているが、どのような背景なのかはわからない。


でもこの言葉は好きな言葉の一つ。なにか誤ったことをしでかしたときとか、精神がへこむような事態に陥ったときに、この言葉がふと心の中に思い浮かぶ。誤りは、揀択(けんじゃく)にこそ潜んでいたのだと反省する。あれか、これかと思い悩む。あるいは、無意識にこの選択の迷路に陥っていてそれに気づかない。気づけなければ、理由もなく憂鬱になる。あるいは億劫や倦怠に陥る。


あれをやりたい。それをやらなければならない。でもその前にこんな課題があって、クリアしておかなければならない。面倒くさい。やはりやめようか。いやいや、やはりやりたいのは自分の本音ではないか。あるいはやっておかないと後々困るんだよね。こんなやり取りが、無意識下で行われる。だから自分ではハッキリとした理由なく、気力が湧かないなどと思っている。あれか、これかと自分の選り好みでじつは悩んでいる。


たとえそれを意識できたとしても、やるのか、やらないのかと、自分の精神を二者択一の窮地に追い込む。自分で自分を追い込んで視野を狭めて、最終的には極端な結論しか出てこなくなる。結論を得てもスッキリとしていない。強迫的に得た結論に自分自身が納得していない。


問題は『あれか、これか』を決することだと決め付けてしまったところに、ドツボの元があるのではないか。そしてあれかこれかについては、いつも自我というヤツが主導権をもって好き嫌いを言っているんだよね。


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