たぶん絵的なBLOG

画材店の店主がつづる絵画や画材のあれこれ

脳の外にあるものと、脳の内にあるもの

最近よくわからなくなってきているのが、表題に書いた脳の外と内の関係だ。外と内の区別といった方が正確かもしれない。なぜそんなことを考え続けているかといえば、以前も書いたが「人を呪わば穴二つ」という諺の深さ、恐ろしさに気づいたからなのだ。


人を嫌うとか、人を憎む、もっと激しいレベルになって人を呪うという行為は、自分と相手の間に、何もない空間があって区分されているからこそ、そんなことができる。ちょうど川べりに立ち、嫌いな相手が岸辺の向こう側にいるという関係で、自分と相手の間には、橋がかかっていない。だから安心して、憎んだり呪ったりできる。


しかし困ったことに、じつは相手は脳内にいる。嫌いな相手を認識しているからこそ、その対象を憎んだりすることが可能だ。脳内にイメージした相手の存在がいるのはまちがいない。その脳内のイメージを一所懸命に憎んでいるのではないか。つまりは自分で自分を憎んでいるのではないか、と連想と推察が走っていく。


そんなに嫌っている相手を、別の人はなにも苦にはしていないということもある。だとすれば、苦にしていない人にとっては、相手は何の摩擦も生まない存在である。自分だけがその相手を嫌い、苦にして、憎んでいるとすれば、それはやはり自分が作り出した幻影ではないか。その幻影を作り上げながら、自らが苦しむ。すべて脳内の自分勝手な働きに由来しているにもかかわらず、相手は外に厳然として存在していると思っている。そう見なしている。


何かが間違っている気がしてならない。いや自分が行っていることがらに、自ら迷い惑わされているんじゃないか。「人を呪わば」という前提は、「自分を呪う」のとまったく同義語なのではないか。「穴は二つ」というけれど、ともに自分が落ちる穴ではないのかな。ひとつは脳内の相手のイメージで、もう一つはこちらの自分だ。


にほんブログ村 ライフスタイルブログ 生き方へ