たぶん絵的なBLOG

画材店の店主がつづる絵画や画材のあれこれ

つまりは鈍感ってヤツだ

年齢を重ねるうちに、気づくことがある。それは自分がバカで鈍感だったのだという思いだ。どんどん深まっていく。これは男性であることも関連している。
それはなぜか。男は間違いなくにぶい生物に育ってしまう。
まず自分が好きなことが、自分で分からなくなる。自覚できていない。人から見ればミエミエで明らかなのに、自分で分かっていない。


楽しみで本屋さんに出かける。そしてあちこちの棚を見てまわるのが好きなのだが、本心から好きになった本を買わない。値段が高かったり、いま買わなくてもいいかと思いなおしたり、ためらったり、いろいろと余計なことを考えて、本心から欲しいという衝動みたいな気持ちをねじ曲げてしまうのだ。そして手頃なところの違う本を買ってしまったりする。
家に帰れば、やはりあの本が欲しかったのだと後悔する。翌日、買い直しに同じ本屋さんに出かけたりする。ほんとバカなのだ。なぜ、そのとき自分の本心に従わないのか。従えないのか。


その一例を紹介させていただこう。以前にもこのBLOGで触れさせていただいた内容で、重複をお許し願う。
就職したての頃、いまから30年も昔だが、通勤途上にあった書店で、とても気がかりになる本と出会った。「羽田沖全日空機墜落事故の調査と研究」と称して、当時この事故調査団の委員長だった山名正夫元教授が著した本で、『最後の30秒』という。
技術者の魂を込めて書いた名著だと思う。しかし当時の2,000円という本は安月給の自分にはちょっと高すぎる書物だった。いく度も棚から引っ張り出しては立ち読みしては棚に戻す。

また棚から手元に持ってきては読む。そんなことを繰り返しては買わずに立ち去る。そのうち『最後の30秒』がその本棚に存在していることを確かめるために本屋に通う。そんなバカなことを続けていた。そしてある日、もうその本は棚にはなかった。


あとになり、この本が事故調査の過程で、機体には欠陥はなかったという立場に立つ多数派と、あくまで純粋に技術的な事象の解明にこだわる山名元教授の対立の構図の中で、生まれた本であったことを知った。何百と機体の実験模型を作っては破壊して、どのような進入角度ならば事故状況が再現するかを研究して、エンジン落下という原因解明を成し遂げたその成果をまとめたものだった。この辺の事情は、柳田邦男さんの『マッハの恐怖 (新潮文庫)』に詳しい。(当時は文庫本にはなっていなかったけれどね。)やはり、技術者の魂を感じたのは間違いではなかった。

それ以来この本に再会したいと探し続けて、ほぼ30年が経過してしまった。古書店に立ち寄ればまず『最後の30秒』を探す。それが習慣になった。2年前に友人のアドバイスで、ある古書店に在庫があるらしいと告げられて、やっとその本との再会を果たした。


ね、バカなことやっているでしょ?欲しいときには、欲しいと言え。言えなければせめて自分の本心をごまかすな、そんなことを思う。
この変な性向のことを書いたのは、本を買うという行為だけでなく、じつは生活のいたるところに蔓延していて、自分の本心を諦め、ごまかし、周囲に同調させてきたのじゃないかなという反省に立っているからなのだ。特に人との出会いになると後悔の度合いは本どころじゃない。


男は黙ってやせ我慢というところがあるね。なぜかわからないが、人前では涙を流さない、欲しくても欲しいといわない、本当は好きなのに、そうでもないと言ってしまう。我慢するのが男の美学なんて、自然に受け入れている。たぶんこれは古い時代の価値観を受け継いでいるためだろう。しかし本心まで見失うところまではやってはいけないな。つくづく。


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