たぶん絵的なBLOG

画材店の店主がつづる絵画や画材のあれこれ

生きている自分を正直に出すこと

自分は「これこれ」であると定義したとたん、「これこれ」と定義されたものは認識の対象となり客体化されてしまう。客体化したものは、いきいきとしたダイナミックなものとはいえない。また「これこれ」と定義したものは誰なのか。どこまでもその認識している主体側は奥へ奥へと逃げていく。見ようとすることで、見えない方へ逃げていく。だから見ようとしても把握できるものではない。自分は発露するものだと思う。発露することで自分と自分が分離されるのでなく一枚になる。いや一枚になっているから発露されるのかもしれない。


和田秀樹さんの新書本をパラパラ読んでいたら、不機嫌な人について書かれた章があって、とても面白かった。「妻の買い物に付き合う夫は、なぜ不機嫌なのか」という問いかけから始まってつぎつぎと心理状態が解明される。

出かけてみれば案の定、混雑と妻の買い物の長さにウンザリし、子供たちのわがままにもウンザリし、しだいに不機嫌になってきます。荷物を持たされ、食べたくもないランチを食べされられ、おまけに財布は妻が握っているから自分の欲しいものは買えません。ここで、ご主人ははっきりと不機嫌になるのですが、
「おれはもう、家族サービスなんてやらない!買い物をしたかったらおまえたちですればいい」
とは口にしません。

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 デパートにいる間もずっと不機嫌だった父親に対して、家族は誰も声をかけてはくれません。妻と子供たちだけで盛り上がっています。この時点で、父親の不機嫌は決定的になってしまいます。

・・・

休日のデパートや行楽地で、ご機嫌な家族の中に一人だけ不機嫌な父親が混じっているのはそのせいです。


和田秀樹「感情の整理」が上手い人下手な人―感情コントロールで自分が変わる (WIDE SHINSHO) 新講社 p.53


なんだかよくわかる話だな・・・
この不機嫌の正体、自分の感情にウソをついて家族と付き合うことから始まる、とある。自分の気持ちに正直になれず、ウソをついてしまうのは家族から嫌われたくなくて、自分に自信がないからだそうだ。家族からイヤなの?と問われれば、いやそんなことはないと、またウソをついていく。こうして不機嫌は出口がなくなりくすぶる。休火山か。
とても共感を覚える話だな・・・


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