たぶん絵的なBLOG

画材店の店主がつづる絵画や画材のあれこれ

アンチエージング

健康に関心が高まりアンチエージング商品に人気があるらしい。しかしこれは若い肉体を保つということで、精神に関しては歳をとったほうがいいと思う。若い頃はよかったと回想する気分にはなれない。はっきりいって若い頃を振り返ることは、その生き方の甘さや苦い経験が思い起こされて苦痛だし、若い頃のほうが暗闇の中でもがき苦しんでいた。


はっきりと覚えているけれど52歳を越えたある時期に、急に目の前が明るくなる経験をした。50年以上生きてきてこだわり続けた憑き物がストンと落ちてしまった感じだった。それまで自分だと思い込んでいたものは自分ではなかった。もっと自分は広くて大きな存在で、それまでの自分を包含する存在なんだと気づいた。いったん気づくと次から次と認識が改まっていく感じだった。


おそらく自分自身を見つめることなどきちんとはできないものだ。自分の眼は見ることができないのと同じだ。2元論の立場でいうならば主観というものは決して認識の対象にはならない。しかし主観というものの存在は否定できないとデカルトは考えた。


ものを見ている自分の存在を否定できないことはわかるけれど、それじゃその自分というのはいったいどんな存在なのか、それはわからない。デカルトのように「見るもの」という側面で規定すれば2元論の主観というものになるし、ハイデッガーのように「投企されたもの(現存在)」と規定すれば実存存在というものになる。でもそれは自分を含む存在の自己イメージに過ぎないのではと思うのだ。規定すればするほど自分の存在は矮小化する。


歳を重ねるほど認識が広まり、世の中がよく見えてきて、自分の愚かさ加減や、(すこし)賢く利口になった部分もわかる。だから歳をとったほうがいいという考え方をしている。内面に関してはエージング主義。



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