たぶん絵的なBLOG

画材店の店主がつづる絵画や画材のあれこれ

まことに人生は逆さまに

人生があまりに順調に波乱なく過ぎるとき、人はそれを憎んだり嫌ったりしてかき乱してしまいたくなる傾向があると思う。黙っていればいいものを、わざわざ騒ぎを引き起こして騒乱の中に活気に満ちた人生を送りたくなる。静かに湯船に浸かっていればいいのに、お湯をあっちに追いやろうと手で追い払い、波を起こしているようなものだ。


平和で幸福に満ちているということは、限りなく退屈で、ワクワクすることがなく、まるで死んだようであるともいえる。幸福とは退屈に耐える苦痛をも意味する。よくよく突き詰めればそういう側面を持つ。逆に言えば、退屈で気晴らしでもしたくなる状態というのは、とても幸福の中に住んでいるということでもある。


長生きすることがおめでたいと世間的には言うのだが、200年も300年も生き続けることが、幸福を享受し続ける一生涯を意味するかどうかわからない。空想の中の話だが、まして死なない体を持つようになったとしたら、人生観というのはどれほど荒れ果ててしまうのだろうか、想像もつかない。そこには終わりがないのだから一生涯という総括すらできない。


手塚治虫氏の『火の鳥』のなかに、死なない存在、「神」となった男の話が出てくる。「神」は待つしかない。時間が過ぎ去る様をただ待つのだ。あるいは米国のTVドラマ『HEROES』に出てくる、決して破壊されず永遠に自動修復される肉体を持つチアリーダーの本当の苦悩。親も友人も歳をとり死に絶えていくのに、変わらず若い肉体を持ち続ける存在の苦痛。医療の目的のひとつは、まがうことなく永遠の生命という理想に向かっているのだが。


にほんブログ村 ライフスタイルブログ 生き方へ