たぶん絵的なBLOG

画材店の店主がつづる絵画や画材のあれこれ

鬱ってなんだろう

サラリーマンの世界で30年以上暮してきた。人間同士が、狭い部屋でかたまりになって生活するので、もちろん面白くないことが数多くあった。うまく立ち回ってスイスイと器用に生きるタイプじゃないし、言い張ると頑固にきかない不器用な人間だったから、恨まれたり妬まれたりのサラリーマン生活だったといっていい。


ひどく落ち込めば、ほとんど半ノイローゼ状態(今はノイローゼという言い方はしないなぁ・・・)になって、鬱状態の一歩手前というときもあった。平日の毎朝は憂鬱になるし、休日になれば土曜日はいいのだが、日曜日の晩はひどく落ち込んだ。サザエさんの歌が聞こえてくるのがとてもイヤで、そのころサザエさん症候群という言い方が流行っていた。若いときほどこの傾向が強かった。


いつ頃からか、ちょっとした気分の切り替え方のコツみたいなものを会得してからは、精神的に追い詰められなくなった。日曜日の晩も平気。朝はもちろん憂鬱にはならない。もちろん年齢と共に、図々しくなったのかもしれない。いや図々しいというより、年齢と共に会得できる内容なのかもしれない。


その気分の切り替えが出来るか出来ないかの差は、とても大きい。切り替えが出来なければ、その重石をずっと抱えていることになる。さらに、抱えていればいるほど、この石はどんどん重くなるという性質を持っている。飴玉みたいにいつか小さくなって消えて無くなってしまいましたということはない。抱えている限り増えていく。自分が落ち込むその原因になっている思いなのに、自分で手放さない。だから積もっていくばかりなのだ。


言い換えれば、心のずっと奥底を手繰っていくと、「絶対手放さないぞ」と頑張っている自分の分身がいるということだ。「自分には絶対できない」という思いのときもある。いずれにしても、変転流転の世の中なのに、変わらないぞと頑張っている部分がある。自分で自分の精神を追い詰めている図になる。これはとても苦しいし、逃げ場が無い。だって自分から逃亡するわけには行かないからね。


そういう自分に気づくことが、脱出の第1歩なのだ。首を絞めていたのは自分の両手だったと、そう気づけば自然な状態に戻る。頑張っている思いを見つけることが出来れば、氷解の始まりである。さらに、それはなぜなのだろうと考える余裕が出来ればどんどんと融けて行く。


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