たぶん絵的なBLOG

画材店の店主がつづる絵画や画材のあれこれ

『アイ、ロボット』

2035年の未来社会、シカゴで起きるロボットの反乱を描いた映画『アイ、ロボット』。見たのは何度目になるのだろうか。CGは美しく、リアルで、映像の魅力に溢れているのだが、ロボットは将来、人間に対して反乱するのだろうかという問いが裏側にある。言い換えれば、いつの日かロボットが「自由意識」を持ち、おのれの行動を自らが決定するようになるのだろうか。この「自由意識」とはなんだろうかという問いかけだ。


ベースにあるのはSF作家のアシモフの「ロボット三原則」である。

  1. ロボットは、人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。
  2. ロボットは、人間から与えられた命令に服従しなければならない。
  3. ロボットは、前傾第1条および第2条に反するおそれのない限り、自己を守らなければならない。

映画は、このロボット三原則を至上命題として植えつけられたロボットが、ある日人間に襲い掛かるというストーリに沿って展開する。ロボット開発と研究をしている準主役の女性研究者は、ロボット三原則は完璧であり、ロボットが反乱するなどありえないと真っ向から反論するのだが。


じつはこの第1条はとても抽象的で、このままでは解釈の多様性を含み、現実には矛盾を孕んでしまう。端的に言えば、人間同士が争っている現実の世界では、危険を見過ごしてはならないと命じられたとき、ロボットはどちら側に加担するのが三原則に従うことになるのだろうか。


環境問題で地球が自死していく現実を認識したロボットは、将来人間におよぶ危害を察知して、人間の活動自体を監視し、人口を制限するたために管理社会を構築することになる。これは人間の命令に背くことではないのか。
(余談だが、この辺は映画『MATRIX』のなかでエージェントが人間に憎々しげに語る言葉を、ふと想起してしまう。人間はウィルス菌に似ている。食料があればあるだけ食い尽くして限りなく周囲に増殖していく、という言明だ。エージェントとは、人間を完全管理するコンピュータのなかで活躍するウィルスソフトのこと。)


三原則では判断できない矛盾した事態に直面したとき、ロボットはどのように行動すべきなのだろうか。何もしないという選択をするのだろうか。危害を見過ごしてはならないという第1条に反しないのだろうか・・・
こうしてロボットの電子脳はオーバーヒートして煙を出して壊れてしまうのだろうか。


現実が矛盾に満ちているときに、単純な論理で書かれたこの三原則によって行動の全てを律することなど到底できないことだ、ということなのだが。


このような疑問は、人間に跳ね返ってくる。つまりは人間だったらこのような事態をどのようにして乗り越えたりやり過ごしたりしているだろうか。どのようにして人間は歴史を刻んできたか。不条理な戦争やエゴに支配された矛盾した人間の行動に対して、人間は何をしてきたのか。


人間は、どこかで「思考停止」あるいは「判断停止」する。いい加減であり、忘れっぽく気まぐれで、疲れやすくわがまま。このあまりよくない印象の諸性質こそ、ある意味で人間を論理の地獄から救っている。とてもおかしな結論なのだが、理屈では割り切れない部分を持ち込まないと人間は生きていけない。