たぶん絵的なBLOG

画材店の店主がつづる絵画や画材のあれこれ

あとがき

ある本のあとがきに、精神分析フロイトの言葉が紹介されていた。

幸・不幸を論ずる人は、我々の時代以前にはほとんどいなかった。我々が生きた時代の前の時代くらいまでは、通信とか放送とかが未発達で、ほかの人の生活を知ることがなかった。
通信や放送が発達したために、ほかの人がどのように生きているかがわかり始め、「比べること」が当たり前になった。
その結果、不幸という認識が広がった。他人と「比べること」が不幸の源かもしれない。
小林正観『楽しい人生を生きる宇宙法則』p.216

そして成功も失敗も、比べること、他人より抜きん出ることをモノサシにして決まっているものだから、比べることをやめてしまうと「成功」の概念が崩れ、「成功哲学」というものもなくなる、という趣旨の言葉が添えられている。


上昇志向や成功哲学、ポジティブ思考に、努力論。このようなビジネスの世界で当たり前となっている考え方、生き方が、ほんの60年か70年前には当たり前でなかったということは、ある意味で「驚き」である。今の時代の常識が、じつは普遍的なものでなく、特殊で、いびつで、ひと時代の流行に近いものだとするなら。ましてその中で悩み、苦しむとしたら、その悩みや苦しみは何のためなのだろう。100年も昔だったらありえない不幸だとしたら。


以前から疑問に感じていることがらをついでにひとつ添えておこう。
人と比較して人より先に行くことに努力を重ね、それが実ってやがて成功したという言い方をするのだけれど、どこまで行ったら成功なのか。何か成功の基準があって、めでたくゴールインした人が成功なのか。それは誰が判定するのか。自分でこれでいいと思ったときが成功なのか。


数学の直線というものは端がない。どこまでもどこまでも先へ続いていく。人より少しでもマシな方向へ自分が行けたとしても、先にはまだまだ無限に広がった道が続く。そして上には上が居て、上を見たらキリがない。でも成功哲学からすると、さらにその先へ行かなくてはいけない。これはある意味、無限地獄なんじゃないか。どうも一生の間、幸せという文字が現れることはないのではないか。




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