たぶん絵的なBLOG

画材店の店主がつづる絵画や画材のあれこれ

『日本の論点』編集部編『10年後のあなた』文春新書

愉快な本ではないなと思いつつ読了。愉快でない原因は、この本自体にあるのではない。待ち受ける10年後の日本の現実の姿が、あまりにも厳しいものであることによる。ほんとうに、終始一貫して、ひとつとして夢のある話はなかった!でもやがて訪れる現実であるならば、目を閉じてしまうわけにはいかない。


いちばん身に沁みて深刻だなと受け取ったのは、人口の減少。これは即座に、生産年齢人口(15歳〜64歳)の減少になり、日本の経済規模の縮小である。つまり小さな国になるわけだ。
データで示せば、
2007年の生産年齢人口は、約8,300万人で、全人口の65%である。
65歳以上の老年人口は、約2,700万人で、全人口の21.5%。
10年後の2017年度になると、生産年齢人口は60.5%に減り、老年人口は、28.1%に増える。
(p.94〜要約)


経済規模を維持しようとすると、労働力の質、生産性を上げていくしかないが、従業員の高齢化は退職金支払いを増加させ、社会保険料の引き上げは、企業の負担増となる。教育訓練費などの抑制につながり、効率は向上しないと予測されているらしい。


消費税の引き上げは時間の問題で、2009年度に8%、2013年度に10%に引き上げることで、2014年度には財政が黒字化する試算が行われている。個人へのインパクトは大変大きいと推定されている。2008年の北京五輪までは中国経済は保たれるだろうし、さらにBRICS経済が伸長すれば、日本は今まで以上に過酷な国際競争に洗われる。
(p.96)


人口減少への手立ては、外国人労働者の受け入れしかないと予測されている。5年以内に740万人が必要だそうだ。低賃金の外国人労働者を受け入れると、日本の非正規雇用者の生活がさらに厳しくなる。外国人労働者は、日本人に比べ頑健で熱心に働く。そのため日雇い派遣のような仕事すら日本人には回ってこなくなる可能性が高いらしい。また介護の現場に、外国人労働者を増やそうと、2006年にフィリッピンとの経済連携協定を結んだらしい。在留期間の間に日本の国家資格の介護福祉士が取得できれば、外国人が介護の仕事につく。外国人の介護を受ける人がこれからは増える。
(p.102、p.119)


その他の話題として、成果主義がもたらす正社員同士の格差、ワーキングプア実態、教育の不平等化、自治体破産、孤独死する高齢者、年金制度は維持できるか、ディジタルデバイドによる情報弱者、熟年離婚という最終判断、年金分割で離婚ラッシュ・・・(もういいか)
とオンパレードである。
古きよき時代を懐かしむことが、本当の現実になる。


ここからは、いつものボクの妄想。
世の中の科学技術が進歩して、生産活動の効率だって桁違いに向上した結果、いろいろと便利なものを享受できるようになり、暮らしが楽になっていいはずなのだけれど。
楽になればなっただけ生活レベルが贅沢になり、いつも限度ギリギリにまで使えるだけ富や資源や環境を使い切ってしまうということを繰り返しているような・・・
したがってそれらを成り立たせている条件や環境変化が起きると、すぐ破綻してしまう。生存条件が崖っぷちのところで成り立っている。


日本の場合は、団塊の世代がひとつの象徴なのではと。人口が増え続けることでのみ成り立っていた日本の繁栄と生存条件(生存方程式)が、いまや成立しなくなったわけだけれどね。


渋滞する高速道路の車線を拡充すると、今までよりさらに多くの車がやって来るため、渋滞がいっそうひどくなるという「いたちごっこ」のようなものかな。問題は道路の狭さにあるのではなく、享受できるだけそこへなだれ込む人間の行動原理というか性向なのではないかな。


映画『MATRIX』で、人間嫌いのエージェントが、人類を代表して戦うモーフィアスに語る言葉をふと思いだしてしまう。
「人間はウィルスみたいなもので、繁殖できるだけはびこって、資源を食い尽くしていく」
どうやら人間はこういう性向を持っているのは間違いがない。


地球全体の領域にまで連想(妄想)は果てしなく続く。
まさに人口爆発、環境破壊、地球温暖化などの困難な問題の根っこにあるものとは、実は同じなのではないだろうか。どうも人間という存在は自制がきかず、目の前にあるご馳走にはすぐ手をつけてしまう存在なのではないだろうか。


ボクらの目には、資源が足りない、金が足りない、楽しみが足りないと自分たちを取り巻く環境の不十分さ、不完全さが見えてしまうけれど、実は問題の根は自分自身の生き方にあるのではないかな。