たぶん絵的なBLOG

画材店の店主がつづる絵画や画材のあれこれ

アマチュア

いい言葉で、そして意味が深いなと思ったのは、中島誠之助さんの言っているアマチュアという言葉。

計算でやってきた人は小さい戦いには勝てる。一方、感性でやってきた人は小さい戦いには勝てないが、大きな勝利を得ることができる。
中島誠之助著『ニセモノはなぜ、人を騙すのか?』角川oneテーマ21 p.183

計算でやってきた人とは、ある意味でその道の専門家であり老舗である。危なげないしある程度のレベルでことを運ぶので、失敗することはない。

しかし彼等は、新しい枕木を置いて、新しいレールを敷くということができない。今現在やっている仕事の延長でしかものを見ることができない。
 ところが、感性でものを見るということは、人が認めてくれなくても、自分がいいと思った方向に、まったく新しい枕木を置いて、レールを敷くことができる。
同 p.184

誠之助さんの言われることにはまったく同感なのだけれど、この「自分の眼を信じる」ということが、いかに難しく常人にはできないことか。


展覧会に行ってどこか気になる絵画の前に立って鑑賞しているとき、たまたま横に来た夫婦が「何だか良くないね」と呟いて去ったとすると、途端に今まで気になっていた絵が色あせてきやしないか。そのくらい自分の眼というものは微妙なバランスの上にかろうじて成り立っているもの。


だからボクたちは、本当に純粋に自分の眼でものごとを見ていない。評判や評価を下調べして準備してきて絵画を見る。頭の中には、これは評価の高い絵画で感動しなくちゃいけないというバイアスが掛かっている。だから容易に感激してしまう。感動しやすい状態に、自分を運んでいっている。いわば予備知識を持っていて、さらにその絵画の前におのれが立っていることの自意識の中で感動している。


その絵画自身の良さに感動することは稀である。ほとんど困難だといっていい。あまりに余計な知識を抱いているから、絵画そのものが見えにくくなっているのだ。たぶんこのカラクリに気づいている人だけが、誠之助さんの言われている新しい枕木を置いて、新たらしいレールを敷く人だ。