たぶん絵的なBLOG

画材店の店主がつづる絵画や画材のあれこれ

梅雨明け

長野南部にも梅雨明けが訪れ昨日は猛暑となった。天気予報のデータベースを調べると、午後2時頃に気温32℃(湿度50%)まで上昇。ちょっと外で動くと汗が吹き出るような暑さだった。

西日を避けるため窓のブラインドを下ろして涼んでいると、つるバラがブラインドにシルエットになっていてちょっと面白い画像になっている。バラのつるや花が額縁のようになって外が見える窓にしようともくろんだものだが、こんな風にシルエットが見えるとは思ってもいなかった。


室内で涼みながら、もし長野に住むことがなかったら当時のままの人生を何の疑問もなく延長していたのだろうと家内と話をした。転勤などせずに相変わらず小さなベランダのついたマンションに暮している現在の自分を想像してみた。今頃何をしているだろう。夕方には、模型のグライダーを携えて近所の公園に出かけていただろうか。あるいは週一のレッスンに備えてフルートの練習をしていただろうか。近くのディスカウントショップにブラブラと出かけて何となくわずかな買い物をして、夕食の頃には8階の自室に戻りくつろいでいるのかもしれない。


自分のなかに潜んだまま外に出ることがなかったはずのものたちにも、思いは及ぶ。長野の自然に触れなければ、おそらく絵筆をとることはなかった。雪の上で遊ぶなんてことは想像もできなかった。ましてガーデニングや植物の栽培など、やりたくてもなかなか出来なかった。そう考えると都会の暮らしとは生活の利便性と引き換えに、自然との接触を可能とするチャンネルを生活から排除して生きていることなんだと気づく。

それがいいとか悪いとかを価値判断しているわけではなく、都会の生活とはそういうものであり、自らが構築した人工環境の中で、自分の生き方に折り合いをつけるということなのだと。