たぶん絵的なBLOG

画材店の店主がつづる絵画や画材のあれこれ

スイッチ

ものごとをスパッと断定するクセがあるみたいだ。ある人からやんわりとそれを指摘されて何となくわかる気がした。文章にも言葉にもそれが現れているようだ。優柔不断に生きたくないという心理が出てくるのかも知れない。またまた断定的な言い方をしてしまうと予告して、あらかじめ伏線を張っておこうかな。最近、つらつら考えている内容である。


ものごとを「ああそうか」と理解できた時や、付き合い始めた人の人物像が把握できて、「こういう人なんだ」とわかった時に、どうも心の中のスイッチがパッと入るのではないかなと思う。アイデアを思いつくときって、よく電球に灯かりが点くアイコンを使うでしょう。あのスイッチが入る感じ。


深く納得するとき、悟りを開くときは、体内で(たぶん脳内で)発火するようなメカニズムが起きている気がする。バラバラだった情報の破片が、意味を伴って一つの理解に統合される瞬間には、それこそニューロンの複雑な回路が、パルスを伴ってパンと結合するのではないかしらん。たぶん潜在意識が、一所懸命に合理的な情報の結合を求めて、寝ても醒めても働いているんだよね。


もしその潜在意識の働きを、すこしでも垣間見ることができたら、その様子というのは、いつもモヤモヤした曖昧で不合理なピンボケ映像やら、言葉の断片やらが飛び交って、まるで夢の世界みたいなものだろうと思う。意識するしないは別として、人の心にはこんな世界が渦巻いていると思う。


絵画も、音楽も、小説も、この無意識の世界の事情を言葉や音や映像を使ってスパッと言い切ったということではないだろうか。深い感動や共感を呼ぶとは、当人が上手く表現できないでいた思いや感情や画像を、はっきりとした形で提示したということではないだろうか。それが常識的に見ると、おかしな言葉や、変な映像であっても、無意識の世界では真実であるということがあるのではなかろうか。


したがって(と断定的に言ってしまうが)たぶん芸術はデタラメでは駄目で、このモヤモヤした世界において共感を呼ぶ、真実を言い当てたものでなければならないと思う。人の心にスイッチが入る体験、電球マークが灯る体験をさせるものでなければならないと。