たぶん絵的なBLOG

画材店の店主がつづる絵画や画材のあれこれ

同期の男

今週水曜日に同期入社の男が急逝した。日曜日に自宅で倒れそのまま病院で手当てを受けていたが、回復することはなかったらしい。水曜日の夜は、言いようのない落ち込みの中にいる自分の心と向き合って時間を過ごした。さして付き合いがあったわけではない。入社したときからずっと所属が別々だったが、仕事の内容が似ていて、互いの部署は隣の部屋という感じだった。しかし入社してから、会社は合併や拡大をして規模を大きくしてきたため、社内ですれ違って、ヤアと挨拶する機会はどんどん減っていた。


ようやく、この落ち込む気持ちを持て余したまま時間が過ぎて、もとの平静を取り戻しつつある。でも驚くのは、なにがこんな影響を自分の心に与えているのかつかめないことである。これが同期でなく親族や家族だったら心が押し潰されてしまうのではと想像した。また、残された周囲の人たちや家族の方々の悲嘆の様が思い浮かんで、その映像が頭から離れないということもある。また別の側面では、「自分の死」という架空ではない現実を突きつけられているためでもある。そこそこの安心を得て生きてはいるものの、実は板子一枚下は地獄であることを思い出させるということもあるのだろう。


同期で亡くなった男はこれで2人目。もう一人の男が亡くなった時は、ともに近しい仕事をし、よく雑談した仲間だったのでとても辛い思いをした。それを思い起こして、またかという気持ちが作用しているのも事実だ。


しかし一方で、悲しみは時が癒すという。落ち込んだままで地を這い続けるということはないのだと感じている。いま自分が生きている以上、死者とともに居続けることは出来ないのだということ、生きている以上前へ進んでいくしかないのだというのも厳然たる事実である。こんな風にして辛い体験を重ねていくのが人生ってものなのだろうと思う。と同時にこんな考え方は多分にウツっぽい傾向だなとも思う。