たぶん絵的なBLOG

画材店の店主がつづる絵画や画材のあれこれ

教えること

スキーを例にして書いてしまうけれど、
教えるとは何だろうかと疑問に思うことが増えた。
ある程度、スキー技術を修得したと自負する人は、その内容を伝えたくて、
相手を探す。いわば弟子を探すわけである。
弟子と見なされた方は、たまったものではない。
しかしこういうことはしばしば身の回りに発生する。
したがって親しく近づく人には要注意!


まったく順番が逆なのである。
まず弟子になりたい人が現れて、教えて欲しいと懇願されて、
(しぶしぶ)教えてやるというのが正しい姿の教え方だと思う。
そこには教えの受け手がいて、受け取る姿勢が出来ている。
ふたたび書いてしまうけれど、これが正しい師弟関係である。


先生気分に浸りたいのか、承認欲かはわからないけれど、人間関係において、
はじめからこのような上下関係を前提に接近してくるケースは多いように思う。


これとは反対に、教えてもらう側の話だが、
下手に教えて欲しいと申し出ていながら、内心はそうではないことも多い。
何を教えてくれるのかを測量している。いろいろな人の発言内容を比較している。
そのサンプルとして教えを請われたわけである。テストされているようなものだ。


本当に教えるという関係は難しい。
そういう煩雑さから逃れたいために、ボクは、ひとから教えられたり、
人に教えたりということを、自分の生きるスタイルから抹消している。
孤立しているのが一番だと思っているところがある。
しかし、これは冷淡でわがままということになるのかもしれない。