技術者という因果な商売
スキーをしていても、つくづく自分は技術者根性を丸出しだなぁと思うことがある。
仲間のスキーヤーは、やれどこそこゲレンデの雪がいいらしいとか、昨晩新雪が降ったはずだとか
いろいろなゲレンデに出かけては楽しんでいる。でも自分には、雪を求めてという
感覚はほとんどない。
スキーヤーにも2種類の人種がいるように思う。
一つは冒険を求めるタイプ。新しい場所へ出かけるのがすき。
それを克服するのが滑り甲斐というもので、どこどこを滑ったという話に花が咲く。
もう一つのタイプは、技術追求型とでも呼ぶべきスキーヤーだ。
レースをやっている人もこの部類に入ると思う。
興味は自分の能力や技術の向上にある。だからいろいろ工夫して練習する。
時には悩んだり壁にぶつかったり。
自分はつくづくこの部類のスキーヤだなと思う。
だからゲレンデに飽きてしまうとか、
気分転換に別のひろいゲレンデに行きたいという気があまり起きない。
飽きてしまうのは、技術の向上が足踏みしている時だ。
技術がどこまで向上したのかが関心事になる。
急斜面やコブのないファミリーゲレンデという性格のわがホームゲレンデだが、
技術の追求にはこれで終わりというところがないので、
いまは、ここで充分と感じている。
技術追求型の割合が多いのか少ないのかはわからない。
仲間内では、3割くらいがこのタイプかなと思う。
案外、日本人には技術追求型は多いのではないだろうか。
なぜなら日本人は娯楽の楽しみを「道」として形式化してきたからだ。
華道、書道、柔道、弓道と、上位に行くほど高段位を取得するしくみを作り、
敬意を持って迎えられる最上位を目指して、鍛錬を怠らないという「道」の
システムを形成してきた。
さらに精神的な向上までも盛り込むことによって、とてつもない深みまで
芸事の道を進化させてきたように思う。
楽しみで始めたことがらが、やがて上達しないことの悩みになり、
行き詰まって、楽しみのはずが苦しみと変わらなくなることが多々ある。
これもより上位に進むための関門なのだ、とひたすら修行に勤しむ。
楽しきゃいいんだよ、という囁きも時には聞こえるのだが・・・