ある親子
いつもでかけるスキー場のレストランで、休憩を取っていた時に、
数メートル先の親子二人が眼に入った。その女の子はなにものかを食べながら、
ふだん暮らしている日常と異なる世界をきょろきょろと見回しているという風情。
母親の方は慣れないスキーをして疲れたのだろうか、なんだか虚脱したように、
ぼんやりと焦点の定まらない目つきで遠くを見ていた。
別に何か事件が起きたわけではない。
ただ幸福をめぐる思いが、この親子を眺めていてふと頭に浮かんだ。
この母親はただボーッとして、この瞬間なにも考えていないことは間違いない。
しかし一方でこの母親は幸福のまっただなかに居ることも間違いないと確信した。
ボクたちは、幸福に包まれて生きている(生かされている)にもかかわらず、
それをほとんど意識していないという構図を思った。
こんな風に生きて生かされているのだが、頭の中は、あれやこれやの煩いごとに支配されて、
人生の基盤には思いが至らない。このようなチグハグな構図で何十年と生きてしまう。
いや墓場に行くまでそうかもしれない。自分の人生は幸福だったろうかと
不完全燃焼したような気持ちで最期を迎えるのだろうと想像した。
この母親の姿は、ボクたちの姿と同じだという思いに浸っていた。
母親と女の子の表情が、パッと明るく輝いた。
幸福な人生を象徴するかのような明るさで。
父親ともう一人の子どもが席に戻ってきたのだ。