たぶん絵的なBLOG

画材店の店主がつづる絵画や画材のあれこれ

皆川賢太郎『スキー完全上達』

以前より皆川賢太郎とはどんな人物なんだろうと興味を抱いていた。
風貌からも求道者という印象を与える。スキー雑誌などで取り上げられる際の
皆川の言葉にも、ちょっと普通のスポーツ選手と比較し内省的なものを感じていた。
昨年末に、首記の本が出版されて即座に購入した。
サブタイトルに、「ケンタロウ、真実の言葉63」とある。


トリノ冬季五輪のスラロームで4位に入賞という快挙を成し遂げた。
日本人としては歴史に残る記録だろうと思う。しかし皆川の言葉は、
その華々しい外側とは反対に、じつに地味で基礎的、そしてシンプルなものだった。
外足が基本、落下運動を意識する、スキーから考える、スキーの支配者になる、
フォームばかりを気にしない。


どの言葉も、レースという種目に特化した技術や心構えというものではなく、
基礎スキーにも共通する基本的なものだ。おそらくスキーという滑走する道具を
使い斜面を落下していく運動を行うという基本を見据えるならば、そのコツというのは
恐ろしく単純なものなのだろうと思う。


「フリー滑走にもルールを」で述べられている言葉をすこし紹介。

・・・同様にフリースキーのときも「ルール」が確立していった。
漠然とすべることはしない。「スキーを感じながらすべる」といのが、
宿題になった。フリースキーでも、トップとテールを感じて、スキー全体に
乗っていくというのが、僕のルールになっていった。
・・・
前述してきたが、僕はあらかじめ身体の部位をこうしようとか、膝をこう使おう
とは考えていない。あくまでも、「スキーの動きを感じる」のに集中している。
・・・
一般のスキーヤーは最初に身体の部位の使い方などを考えすぎると指摘している
のも、ここに大きなポイントがある。このようなスキーヤーは、たぶん身体の
部位だけを気にしてすべっている。いちばん大切なスキーの動きが削除されて
しまっているのだ。
同書 p.115


うわべを見て、フォームがどうのこうのという議論が、スキーにはとても多い。
皆川の言葉は、本質から逸脱したところで「漫然と」ゲレンデを滑っている
一般スキーヤーに、本当にうまくなりたいのならば、というエッセンスを
アドバイスしているのだろうと思う。
しかし一方、そもそもこういう地味な本質的な言葉に聞く耳を持たないのだろうな
とも感じた。そのくらい惑わすものが多いスポーツだというのが率直な感想だ。