雑感
これまでなんと無用心に「人生の意味」なんて言葉を弄んだことだろう。
半世紀を生きたいま、それをやすやすと問うことはできないと感じ始めた。
自分の全存在を含んている人生の意味を、自分が問えるのだろうかと思う。
その問いかけの構造に矛盾のようなものを感じるから。
もし自分が神であったなら、人間の意味に言及することができるだろう。
しかし人生の舞台の主役である自分が、その人生の意味などを問いかけて
いいものだろうか。頭が高いぞ、という思いがもたげる。
形而上学的な問いかけには一切答えなかったといわれている釈尊。
その一貫した姿勢により深い智慧を感じる。人生は短く、しかも到達すべき智は
はるか高いところにある。どちらでもよい問いかけに人生を空費することなく、
問いかけるのならば実践の場で答えが出せる有効な問いかけをすべきであると
述べられたとある。
新年を迎えて、今年の自戒のキーワードは、極めて単純、子供でも知っている
次の二つの言葉。
1.ものごとは自分の思い通りにはならない(我は通らない)。
2.うらやむ心からは心の平安は生まれない(比較からは何も生まれない)。