たぶん絵的なBLOG

画材店の店主がつづる絵画や画材のあれこれ

45年ぶりの再会

今日は、家内と共に横浜へ『追憶の旅』にでかけた。
もとはといえば中華街で美味しいものを食べに行こうという軽いノリだった。
しかしやがていろいろと横浜にまつわる懐かしいものごとを思い出してしまった。
まずダイアモンド地下街、そして伊勢佐木町有隣堂書店。最後に山下公園氷川丸だ。
それじゃ、これらをみんなハシゴして、追憶の旅と洒落てみるかな。
朝暗いうちから高速バスに乗り日帰り旅行を敢行した。


中学生の頃、有隣堂本店の中をよくうろうろと歩いた。
本の虫になった始まりはこの店にあると思う。そしてあのビルはそのままなのだろうか、
と以前から気になっていた。ネット友人の情報では「今も、あのまんまですよ」と
教えられたのだが、「そのまんま」なるものを見てみたくなった。
そして見てきた。
入り口の雨よけのテントもそのままのようであり、中二階のような回廊は、
そのまんまの形でそこにあった。そして、そこに立ち一階を眺めた。
中学生の自分は、40年前にここに立ちやはり一階を眺めたのだ。


氷川丸との再会はさらに45年ぶりになる。
船内を見たいと思ったが、なんと昨年12月25日をもって観覧する事業を取りやめたとのことだ。
ほんの10日ばかり前のことではないか。残念。


なぜ氷川丸に執着するのかについては・・・
氷川丸の船内を観覧出来るように山下公園に係留されるようになったのが1960年。
このときの記念事業として、氷川丸を絵に描くコンクールがあったらしい。
自分はどんな絵を描いたのか記憶にないのだが、学校の行事としてスケッチをして彩色をした。
その時の氷川丸の絵が入賞してしまい、学校を休み母と一緒に表彰式に出席するため、
氷川丸の船内に入った。
覚えているのは、母が伴ってきたというその異例さと、船内の暗い照明、船長のような
服装を着た大人たちだ。
頭が悪くノロノロしていた小学生は、自分の絵が表彰されるのだということも、
意識することもなかった。何だか変なところに連れてこられたなということしか覚えていない。


そして今日氷川丸をスケッチしてみた。45年ぶりということになる。
氷川丸山下公園碇泊の始まりの時に絵を描き、営業を終了したときに、再び絵を描くなんて、
変なめぐり合わせである。
カモメがたくさん飛び交っていたが、45年前もやはり同じように飛び交っていたのだろうな
などと思いつつ鉛筆を走らせた。