たぶん絵的なBLOG

画材店の店主がつづる絵画や画材のあれこれ

考えてもしかたないことを考える

お堂の周りを回ればご利益があるというお寺が、先日TVで紹介されていた。夜、暗闇の中でお堂を回らなければならないので、竹べらを持ちお堂の建物の周りをなぞって参拝するスタイルになった。建物の周りに竹べらで抉れた溝がぐるっと形成されてしまっている。堂々巡りという言葉は、この参拝の様子が語源になったということだ。


考えてもしかたないことをいつまでもグルグルと考えていることを、堂々巡りしていると悪い意味でつかう。人生の経験が長くなり振り返ると(つまりオジンになると)、人生の中で堂々巡りしている時間というものがけっこう長いことに気づく。考えても仕方ないとわかっていても、考えてしまう。そんな時間で人生の時間を埋めていた。頭でわかっていても感情や情念が納得していないからなのだ。肉体が滅びても、情念だけが生き続けているのを幽霊と言うのだろう。


人のことを何とかしたいという情念に駆られるとき、人生の中でもっとも非効率的な時間といっていいだろう。人は、他人のことを思うままにしたいという情熱を持ちやすいのだ。しかしそれを自覚するのは困難なことで、たいてい無意識に人をどうにかしたいという情念に支配されている。当然ながら、唯々諾々としてそれに従う人がいるわけがないから争いになる。なんとか自分の思い通りに人を従わせたい、論点などどうでもいいという風になる。


でもはっきりしている。人の気持ちを思いのままにすることはできないし、従わせることはできない。だからこの部分に力を注いでも報われることは決してない。これこそ考えても仕方ないことの筆頭だろう。