平山郁夫さんの言葉を杖として
今年入手した平山郁夫さんの『ぶれない』という生き方に触れた著書は、ことあるごとに開いては読みそして納得し、また読むということを繰り返している。
著書の中で平山さんは、運よく入学できた(と謙遜されている)美術学校では、同級生の中でまるで自分だけが子供のようだったと回想されている。年齢も、技術も、知識も、社会的な経験においても、周囲は自分よりずっと進んでいた。
・・・画家の道をあきらめてしまうことすらあったかもしれません。
けれども、私はそうならずにすんだ。それは落ち込む前に、自分にいろいろな課題を課して、あれこれ考え込む暇を無理やりなくしてしまったからです。
疑問を持ったり、思いわずらう時間を自分に与えない。そのためには、がむしゃらに徹底的に何かにのめり込むのが一番の早道だと思います。
要は、落ち込んでいるときが勉強するチャンスだということです。落ち込むと、いろいろとマイナスなことを考えがちになる。マイナスはマイナスを生み、そこから抜け出せなくなってしまう。
最後の、マイナスはマイナスを生むという言葉に深く共感する。考え方がマイナスに振れていくと、マイナスな事象が真っ先に目に飛び込むし、耳に聞こえてくる。そういうものをまるで自分が求めていたかのように。あるいは自分がへこんでいることを証明しようとしているかのように。証明すれば、ますますへこむだけなのに。こうして脱出ができなくなりマイナスが長期化するのだ。
いまマイナスなのだという自覚が必要だと思う。目に飛び込むマイナスに見える事象を信じないこと。マイナスに聞こえる事象を聞かないこと。オレは今、頭がおかしいから判断しないと決心すること。そして平山さんの言われるように静かに黙って勉強するのだ。