たぶん絵的なBLOG

画材店の店主がつづる絵画や画材のあれこれ

アクリル画2作目

下絵の検討のときを除けば、先生のとの見方の違いというかバトルらしきものもなく順調に描き進んだという印象だった。たぶん弟子は師匠に同化していき、知らず知らずのうちに先達の教えを自分のなかに消化し取り込み、しだいに差異が分りにくくなるのかもしれない。
まあ、そんなすぐに習得するほどの才能は持ち合わせないのだけれど、がっちりした風景画に取り組む際に、必ず検討しなければならないことの重要性は、ややミミタコになった。


水彩画は、雰囲気でも描けてしまうところがあって、いわば空気やモヤみたいなものがベースになっている気がする。なぜなら描きたいところを描いてしまい、それ以外は紙の余白を生かして、あえて描かないという画法だ。むろん画面全体をゆるがせにせずしっかりと描き込む水彩画もあるが、少なくとも自分がこれまで描いてきたものは、この範疇に入ると思う。ある側面では日本古来の水墨画や、書の世界に近いものかもしれない。


本来の西洋画は、空間というものをすべて描き出す必要があって、曖昧さが許され
ないところがある気がする。描かれたものの位置関係がよくわからないということは生じない。むろん、ターナーやルドンのように空気やイメージが主題となっている絵画というものもある。しかし基本は、描かれた空間のものたちの位置関係や遠近感がベースになると思う。


西洋絵画は2次元表現であるのにも関わらず、いつも3次元空間を念頭に描いている。キュービズムなどの、その3次元空間の桎梏からの開放という運動が起きるのも、3次元の世界観がもともとの絵画の出発点であったからだろう。


そんな高邁なお話はさておき、2作目で苦心しテーマとしたのは、空、遠景の山、その手前の緑の林のかたまり、そして画面中央の蔵の位置関係が、3次元的に納得できるように描くこと。そのためにあえて難しい縦長の画面構成にした。
色の彩度、色合い、色のバラエティの幅などがみな関係している。色彩で3次元を描こうとするのはとても困難な作業というのが実感だった。しかしそんなことまで気を配り絵画を描くという行為は大変だが、新たな楽しみでもある。



伊那の夏の日  アクリル画 F8サイズ(455mm×380mm) 
絵画サイトにも掲載しています)