木陰
今日、誰かが木陰で涼をとれるのは、
ずっと昔、誰かが木を植えておいてくれたからである。
『バフェットの教訓』p.72
このバフェットの言葉がいちばん心に響くように感じる。史上最強の個人投資家といわれている彼だが、心根は案外こんなところにあって彼の思考の根幹を支えているのかもしれない。
夏の暑い日、思わず涼をとりたくて大きな木の木陰に入った。
風がかすかに吹いて汗ばんだ首や頬をとおりぬけていく。
ああ、ちょうどいい木が植わっていたものだ。
汗をぬぐいながら見上げれば、葉が風にゆれている。
今でこそ見上げるほどの大きなこの木、
当たり前だがこの木だって双葉のときがあり
鉛筆ほどの太さの苗だったときがあり
長い時間を途絶えることなく成長してきた。
誰がいつ植えたのかはわからない。
その理由だって。
種子がここに舞い降りてきただけなのかもしれない。
そんな理由なんかどちらでもよくて
ただ自分がいま、涼をとらせてもらっている。
はっきりしているのは自分が成しえたことがらではないこと。
気づけばこの根元にいて
そんな偶然の中で木と出会い
ここで思考しているという事実。